Saturday, February 27, 2010

くまちゃんカムアウトと、宇多田ヒカル

くまちゃんというのはもちろん、宇多田ヒカルが旅行先にも持ち歩く巨大なテディーベアのこと。「みんなのうた」で使用されてシングル発売もされた曲「ぼくはくま」の主人公(のモデル)でもある。宇多田ヒカルのファン以外には何の事やらさっぱりな話題だと思う。申し訳ない。今まで話題にする機会はなかったが、私は宇多田ヒカルの熱心なファンなのである。Phishのライブは3回、MMWのライブは多分8回見ているが、宇多田ヒカルはTV収録も含めると9回見ているし、CDやDVDもほとんど持っているのだ。

ここからは全て、勝手な想像に基づいたファンのつぶやきとして聞いて欲しい。

宇多田ファンの皆さんは、彼女のブログ(Messages from Hikki)の1月27日のポストであの「くまちゃん」がゲイと明らかにされたことはご存知と思う。ゲイ文化と縁の深いサンフランシスコで公演をした直後だ。このぬいぐるみが彼女のブログに登場したのは4年くらい前だろうか。最初はただの「巨大なぬいぐるみ」だった。しばらくすると、その熊のぬいぐるみに対する彼女の愛着ぶりは強烈になっていった。あまりに唐突で、感情に溢れていた。そしてその愛は作品「ぼくはくま」のみならずブログ上でもインタビューでも、惜しみなく表現された。














↑飛行機の座席に座るくまちゃん。旅行にも、宇多田ヒカルはくまちゃんを連れて行く。いかに大きいかに注目。

それはちょうど、彼女の離婚の前後だったと思う。15歳と若くしてデビューし、すぐに大スターになった宇多田ヒカル。子供時代はNYと東京を行ったり来たりし、両親は過去に少なくとも6回の離婚と結婚を繰り返している。作品と発言を熱心に追って来たファンには、彼女の精神を支える存在に関してこういう印象を持った人も少なくないのではと思う。

●マネージャーであるお父さん(宇多田照實)
↓ 精神的な一人立ち・成人
●映像・舞台プロデュースも手がけた夫(紀里谷和明)
↓ 離婚という挫折
●ぬいぐるみのくまちゃん

まぁ、聞いてくれ。熊はただの動物じゃない。

熊は強い動物だ。神話の昔には狩猟民にとってカミ(神)だった。その強さから、人間が王を作り出す前の世界では熊が王として君臨していた。*

巨大なぬいぐるみであるくまちゃんは、宇多田ヒカルの精神の強さの象徴。圧倒的な強さを秘めつつも、自意識を持たずいつでも柔らかく守ってくれる存在だ。それは支えであり支配ではない、神の存在。そのくまちゃんと対話し、くまちゃんの視線で世界を見る。神であり、ボディーガードであり、友達であり、自分自身の失われた子供時代なのだ。

それに、くまちゃんの芯の部分には宇多田ヒカルがいるということはこのコマーシャルで明らかだ。長いバージョンはこちら

常に巨大なくまのぬいぐるみと行動をともにし、対話もする(そしてブログで記録する)。その様子は、まるで特別にカスタマイズされた精神療法のようだ。

その熊が、ゲイとカムアウトした。くまちゃんが、「ともだちのひかるちゃん」以外にも他者との関係を必要とする存在であること、セクシャリティを認識するほどに成長したことが宣言されたのだ。離婚から約4年後の、27歳の誕生日の数日後のことである。くまちゃんが、守り神から友人へシフトしているのか。

その背景には、宇多田ヒカルの新しい恋人の存在があるのかもしれない。(昨年12月のインタビューで、「外でがんばった後でほっとできる人がいるのは良い」という内容の発言をしている。)でもこの4〜5年でくまちゃんとの関係から彼女が得たものは大きいはずだ。強い何かに頼らなくても世界に向かっていける、より人間的に成長した宇多田ヒカルを予感させる出来事だった。熱心なファンとして、(またゲイには親しみがある身として、)しばし感慨にひたり何か書き記さずにはいられない気分になったのだ。

上のインタビューによると、今後の予定としてカバー・アルバムを作るかもしれないということが示唆されている。今までオマケ的なカバーはあったが、アルバム1枚作るほど歌手に専念するのは初めてのことで、実現するのであれば、どうなるのか楽しみである。(先日終了したUS&UKツアーでは、Placeboの曲がカバーされた。ってかPlacebo懐かしい。)それから、2/8のNY公演にも実は行っているのだけど、これについてもそのうち書くかもしれない。

*これは中沢新一のカイエ・ソバージュシリーズ2の「熊から王へ」という本の受け売り。有史以前の人類と熊(動物)の関係が、鮮やかに描かれている。めっぽう面白い本。

Saturday, February 20, 2010

白米と玄米、精製と食べ心地


玄米食べて走ってみた


最近、玄米の良さを再発見した。機会がなくてしばらく白米ばかり食べてきたのだけど、再び玄米に挑戦してみたらすっかりフォール・イン・ラブ。

胃の弱いランナーである私が運動できるのは、食事後4時間後から5時間半後くらいまでがギリギリの時間帯。それより前だと気持ち悪くなるし、後だと空腹で走れない。でもそれはうまくいった場合の話で、実際のところは食後3時間後には空腹を感じ始めて、走りに行く気力が出ないことが多い。走れたとしてもその後の強烈な空腹感で、食事の準備をする間を待てずとりあえず手近にあるお菓子などに手をつけてしまうことも多々。

が、玄米を食べた後で走りに行ったら、1時間走った後でもいつものような消耗感がない! 空腹ではあるが、食事まで我慢しましょうと考える余裕がある。

玄米は白米より血糖値を緩やかに上げ下げする、というのを初めて自分の体で実感したわけだ。こりゃいい。

血糖値のお話 

人は血糖値が下がると、空腹を感じるらしい。腹じゃなくて血で感じるのか。血糖値は血液内のグルコース(ブドウ糖)の濃度。その仕組みは私みたいな素人が読んでもよく分からないけど、まあ読んで字のごとく、エネルギー源である糖がどれくらい血液中にあるかって大まかなイメージで乗り切ろう。糖が足りないと究極的には人は死んでしまうから、低くなれば体が空腹というサインを送るのは当然ですな。

白米はほとんどが糖分。それにビタミンやミネラル、それに食物繊維などが豊富な皮がついたのが玄米。体は食べ物を胃だか十二指腸だかその辺の「お腹」のあたりで分解して、糖分を取り込んで血液に送り込むんでしょう。お腹の気持ちになってみると、玄米だと皮がついているぶん作業が複雑そうだね。その分の時間をかけて糖分を血液に送らせてもらいましょうかね、みたいな。

甘いお菓子を食べると、食べ終わってしばらくするとまた甘いものが食べたくなって気持ち悪くなるまで続けるループに陥ることがありませんか? 私はあります。それって多分、甘いお菓子にはだいたいあの真っ白い砂糖が大量に使われてるから。砂糖ってあらま、砂の糖ですよ。ピュアな糖。きっと、お腹をほとんど素通りで一気に血に流れ込むんじゃないかな。で、うぉーーエネルギーーキターーってなる。だから「待ってました!」って感じで体が喜ぶ。

で、血糖値が上がると、上がり過ぎはいかんとインスリンってやつが分泌されてそれが血糖値を下げるらしい。血糖値が急上昇した場合はヤバいヤバいってインスリンも大量に出るわけ。その結果として血糖値が、今度は一気に下がる。普通より下がる。すると? 体は、うぉーーーー糖が足りないーーお腹空いたーーーと感じてしまうわけです。せわしない。何かに似てるな。コカインとか?

おっと脱線。それが、止まらないお菓子ループの仕組み。残業中に空腹に耐えかねてチョコレートを食べたら逆に空腹感が強くなってしまった、なんてのも同じ仕組みでしょう。ここだけの話ですけど、そういう場合はナッツ類をスナックにするのがいいですわよっ。で、ある程度食べたら「よし今ゆっくり血に糖が流れていってるぞー」って想像してみて下さい。騙し合いの一人芝居ですよ。たぶん、空腹は抑えられているはず。

寿司キメる?

江戸時代の江戸では富裕層を中心に脚気が流行ったらしい。これは白米を庶民が食べることがやっとこの時代になって一般化して、その結果ビタミンB1不足で脚気になったらしい。田舎の方では脚気が流行らなかったのは、肉体労働が多い田舎では腹持ちの良い玄米をみんなが食べ続けたからという説がある。ランニングを始めて玄米の良さに気づいた私としては納得できる説である。

日本人は弥生時代には稲作してたらしいから、軽く二千年くらい米を作ってきた。その歴史のほとんどで玄米を食べてきたんだと思う。ちなみに砂糖は、江戸中期にやっと庶民に浸透してきたけどその時点でもほとんどが輸入品。たぶんかなりの贅沢品でしょう。今の我々が思い浮かべる「寿司」も江戸時代に白米の一般化とともに発展したみたい。私が玄米を発見したのと逆だけど、当時玄米しか食べた事が無かった人が握り寿司を食べた時の興奮ったら、すごいだろうね。

魚のうまみ+シャリの糖分でガツンと、さらに発酵食品である酢も魚介同様にアミノ酸たっぷり。ついでに生の食品は酵素が多く含まれているので、柔らかい魚介を使った寿司は消化にも良い。これは今、精製された食品にあふれて生活している我々が寿司を食べるのとはかなり違った体験だったに違いない。

どっちが良い、ってことじゃなく

というわけで最近はすっかり玄米ラブなそらねですが、別に玄米を食べようと声高に言いたいわけでもなく、その時によって食べ分けたら良いんじゃないかと思うんです。体に耳を傾けてみれば、どっちを食べたいか分かるはず。私は走るなら断然、玄米です。寿司は白米に限る。いや、うまい玄米寿司で驚かせてくれ。

そえれから、すっかり忘れていたけど来月ハーフマラソンを走る予定だった。玄米に願をかけたい。そしてハーフマラソン完走なんて一大事には、ホントは上質な江戸前寿司でもキメたいところ。軽く酢締めしたこはだ、ひらめ、生たこ。。。。あうぅぅ。


オマケ。NYのウォール街近くにあるLittle Lad's Basketというヴィーガン・レストランで金曜日のみ販売している、アイスクリームならぬ"Nice Cream"。ミント・ファッジ味だったかな。ヴィーガンということで当然ながら乳製品を全く使っていないのだが、美味しかった! これは優しさの中にお茶目さを発見できる平和なスイーツ(笑。甘みに何を使っているか分からないけど、ヘルシー系は白い砂糖を避けてメイプルシロップとかモラサスとかを使うことが多いので、比較的平和な美味しさが楽しめることが多い。

Monday, February 8, 2010

言葉の壁と音楽

ダンスミュージックなんか特にそうだけど、音楽というのは言語より深い層で人同士を結ぶ力がある。でも私は言葉も好き。みんな多かれ少なかれ言葉という魔法に取り付かれている。私は音楽も好きだし、言葉を使った音楽も好きだ。言葉は強いのでどうしても主役になってしまいがちだけど、音色という脇役を贅沢に使って引き立てられた言葉が私の中に響く気持ち良さは他に代えがたい。私は日本語以外に英語をまあまあ使えるけど、これは小さい頃に英語の歌に心を動かされた経験がかなり影響しているんじゃないかな、と思う。

中学校で教科として教えられたのが英語との出会いという人も多いだろう。そこでは「その表現で相手は何を感じるか」、「あなたは何を感じたか」、よりも「それは文法的に間違ってないかどうか」を重視する。そんな環境では「言葉の魔法」を感じられないのも無理はない。その体験も生々しいままに英語の歌を耳にしても、自分の歌だ、とは感じにくいだろう。そしてポップ音楽を「洋楽」と「邦楽」に分けて呼びはじめると、「外国語の歌」=「歌詞は無視して楽しむもの」と何となく認識してしまう。

ただの思いつきだったのだが、かつて試しにジョニ・ミッチェルの歌詞を父の出身地の秋田弁で訳してみたことがある。この「River」という曲は、1972年のアルバム「Blue」の曲で、カナダからカリフォルニアに移り住んだジョニがクリスマスの時期に、雪も降らず木も緑のままの街で故郷の冬景色を思うという状況を描いていると言われている。ここには故郷を思う人なら誰でも共通する感情が流れているし、秋田から東京にやってきた人が景色を見て思うことにはかなり重なるんじゃなかと思うのだ。そんな感じで、試しに読みながら聴いてみて欲しい。

とはいっても私は秋田弁は話せないので、秋田弁コンバータを使ってそれっぽくしてみただけ。それでも、よく分からない方言には言葉の頑固さをゆるめるて、翻訳であっても魔法が効きやすくする作用があるような気がしませんか。なんか笑えるし。



"River"

クリスマスがやってくる
あっこじゃ、もみの木さ切り出して
トナカイの飾りさ庭置いで
喜びと平和の歌さうだう
あぁ川さあったなら滑って行がさるんだども

でもここいらじゃ雪さふらね
そいどごか緑さ青々としたまんまだ
おらはこいがらたっぷりじぇんこ(お金)どご稼ぐ
へばこっちゃおがしな風景から抜け出すがら
あぁ川さあったなら滑って行がさるんだども

すげ長い川さあったらええのに
そしたら速く滑って飛んでるみたいに
あぁ川さあったなら滑って行がさるんだども
愛する人どご泣かせてしまった

あいつは一生懸命おらの助けになろうとした
おらどご楽にしてくれたんだもの
いたずらっぽく愛してくれて
おらはもう膝に力が入らないくらいだズ
あぁ川さあったなら滑って行がさるんだども

おらは扱いにぐぐで
自分勝手で、沈みがち
んでもって最愛の人どご失ってしまった
いままでで最高の人どご
あぁ川さあったなら滑って行ってしまえるんだども

すげ長い川さあったらええのに
そしたら速く滑って飛んでるみたいに
川さあったなら滑って行ってしまえるんだども
愛する人に、さよならどご言わせてしまった

クリスマスがやってくる
あそこらじゃ、もみの木さ切って
トナカイの飾りさ置いで
喜びと平和の歌さうだう
あぁ川さあったなら滑って行ってしまえるんだども

Friday, February 5, 2010

片付けと怒り、そしてジョニ・ミッチェル

「片付け」という概念を理解し始めたのは、ここ2、3年という気がする。今でも苦手。モノを整理するのが苦手。モノを分類して仕舞う場所を覚えて、毎回そこに戻すというのは、すごく難しいと思う。要らない物なんて無いし。

取捨選択には指針が必要だ。何かを人生から切り捨てるのは、それと一緒に未来に関する可能性も捨ててしまうことなのだ。捨てることよって手に入る別の可能性が見えていないと出来ない。人生にある程度の覚悟がなきゃ掃除はできない。いつだって別れは辛い。一度は愛した世界の破片を、どうして手放せよう? 役に立たない、邪魔、なんてひどいことをどうして言えよう? 心を動かされたから、手に入れたはずなのに。

"I remember that time you told me you said
'Love is touching souls'
Surely you touched mine"

あなたがこう言った時のことを覚えてるわ
「愛とは、魂に触れること」
確かにあなたは私のに触れた

ジョニ・ミッチェルは1972年発売の名作アルバム「Blue」の収録曲「A case of you」の中でこう歌った。


72年のライブ(Joni Mitchell singing "A case of you" live in 1972)

実は歌詞の1行目で、この相手とは別れていることが分かる。魂に触れ合っても、手放さなきゃいけない時が来る。なぜなら全ては手に入らないから。本当に欲しいものを手に入れなきゃいけないから。そのために、ぎりぎりまで積み荷を降ろさないといけないから。

片付け方が分かるようになってきたのと同じ頃に、自分の中に「怒り」という感情を見つけ始めた気がする。若い頃にはたと、自分は他人を嫌いになることがまずないと気づいた。強いて言えば「嫌い」という感情が嫌いだった。どんな事情と経過があってこのような私にとって好ましくない結果になっているかも分かり様がないのに、誰かに責任を押し付けるなんて乱暴すぎる。

でも今は違う。自分にとって許しがたい人の言動はある。そう思う。欲しいものがあるから。生きてることがそもそも自分勝手ですが何か?と反撃することにしたから。オマエは降ろしたい積み荷だ。他人が勝手に私の大事な物を壊す。オイオイオイオイ。それが怒りだ。一方で、私の人生からの脱落を告げると、静かに受け入れてくれるのが片付け。

ジョニ・ミッチェルは1943年生まれだから、上のライブでは今の私と同じ29歳。そしてこの下のライブは同じ曲だけど、1983年のライブ。約10年後の40歳。声と歌い方の変化を聞いて欲しい。


Joni Mitchell singing "A case of you" live in 1983

失った積み荷と、手に入れた大切なものがはっきり聞こえないだろうか。生があらゆるレベルでの絶え間ない変化だとしたら、すごく生を体現していないだろうか。

3年くらい前にニューヨークのカフェでふと手に取ったビレッジボイスに、ジョニ・ミッチェルに関する記事が出ていた。ちょうど彼女が久々のアルバムをスターバックスの"Hear Music label"から出した直後で、そのレビューだった。レビュワーの意見を簡単にまとめると、「かつては革新的で鋭いアーティストだった人が、個性もなく無駄に高いコーヒー・チェーンにスポンサーされて店内に並んでるのは皮肉だし、そのせいで歌詞も胸に響かない」みたいな皮肉っぽい内容だった。今でも苦々しく覚えている。

私はビレッジボイスの読者だったことはないし、このライターは愛ゆえに厳しいことを言っていたのかもしれない。でもやっぱり、スターバックスのレーベルだからってことで評価を下げるのは音楽レビューとしてはダメだ。そんなことでアーティストの作品を正面から聴けなくなっちゃう人に、アレコレ言われる筋合いはジョニ・ミッチェルにはない。読んだ当時はなんだかモヤモヤ違和感があるだけだったが、今思い出してみると感じるのはちょっとした怒りだ。

これでやっとこのビレッジボイスの記事のことを、要らないモノとして記憶のゴミ箱にそっと入れることが出来る気がする。ジョニ・ミッチェルの歌には、私にとって大事なものがたくさん詰まっているんだ。




*ちなみに検索したらありました。これがその記事。片付けについて気づいたことを300字くらいでメモしてみようと思ったら、なんだかジョニが飛び入り参加して来たりとまたいつも通り長くなった。読んでくれてありがとう。

Wednesday, February 3, 2010

MMW日本ツアー決定!

Yahoo!ニュースより。以下引用。元の記事はこちら:
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100204-00000002-lisn-musi


ジャズ/ジャムバンドの最高峰、メデスキ、マーティン&ウッド4月に来日決定!

 ジャズ/ジャム・シーンを代表するジョン・メデスキ(key)、クリス・ウッド(b)、ビリー・マーティン(ds,per)のトリオ、メデスキ、マーティン&ウッド(MMW)が4月にジャパンツアーを行う事が明らかとなった。

【関連記事】メデスキ・マーチン・アンド・ウッド

日程は4月8日(木)名古屋 ボトムライン、9日(金)大阪 Janus、10日(土)渋谷 O-EASTで、東京は、先日ガラージ・ア・トロア(Garage A Trois)の東京公演で久々に復活し、成功を収めたパーティー、「Organic Groove」による<Organic Groove 革命さえも進化スル>というイベント名で開催する。

これまでも「Organic Groove」への出演や、世界の優れた演奏家が一堂に介した個性的なフェス「True People`s CELEBRATION」のメインアクトとして数々の名演を繰り広げてきたMMWだけに今回の来日公演でのパフォーマンスにも期待が高まる。

イベントの詳細は新たにオープンした「Organic Groove」のオフィシャルサイト(organicgroove.net)で発表される予定。また現在当サイト内では、MMWの海外インタビューや、過去の来日イベントのフォト・ギャラリーなど充実したコンテンツも公開している。

【メデスキ、マーティン&ウッドEvolution in Revolution Tour】
4/8(木) 大阪 Janus
4/9(金) 名古屋 ボトムライン 
4/10(土) 渋谷 O-EAST





さて久々に帰国しますかね。アメリカでひとり旅して見るMMWもいいですが、日本のお友達とMMWで踊れる日を待ちわびていたのです!