Monday, December 21, 2009

Phishよい音、いちどは踊れ♪

ずっと見たかったバンドであるPhishをついに見たのに、感想ひとつ無いのも個人ブログとして寂しい。NYのショー2回はほんっと楽しかったのよ。でも自分で書く前に、ぼんやり言いたいことが全部くっきり書いてあるような記事を見つけたので、それをまた勝手に訳してお届けしてみる。

私のPhishデビューと同じ12/2のマディソンスクエアガーデンでPhishライブデビューをした、米Esquire誌のウェブディレクターが12/3に投稿した記事です。いやあ面白い。

Seeing Phish Play Madison Square Garden (Once)
December 3, 2009 at 12:40PM by Eric Gillin

昨日まで、Phishは1曲もしっかり耳を傾けたことが無かった。彼らの音楽を全く聴いたことがなかったというわけではない。僕はアメリカ北東部の大学に通ってたわけだし、1度や2度はPhishが耳を通りぬけたことは間違いない。でも彼らには、まるでベジタリアンが子牛の煮込みを考える時のような気持ちを抱いてきた。もちろん美味しいでしょうよ、なんでみんなが好きなのかも分かるよ、でも自分はレストランで注文しないよ、という感じ。

そして今でも全体的に考えて、Phishは僕の好みとは言えない。でもあなたが音楽を好きならー例えバンパーステッカーだらけのおんぼろボルボを運転したことがなくても、履き古したコーデュロイを持ってなくても、飛び級クラスの授業を取ったことが無くても、2万人と一緒に室内でマリファナを吸ったことが無かったとしても、1度は彼らのライブを見るべきだ。なぜなら、Phishは「音楽」をプレイするから。音楽の全てを。いっぺんに。あなたが想像しうる全てのジャンルを。ブルーグラスにクラシックにファンクにアリーナロックにカントリーにアバンギャルドジャズにアフロキューバンにパワーポップにフォーク。技術的に完璧。4時間ぶっ通しで。

(でも、あなたが「音楽」好きである必要がある。特定の音楽ジャンルが好き、ではダメ。DCハードコア、イーストコーストラップ、マンチェスターロックが好き、というのではなく。全ての音楽が好きじゃなければいけない。髪を七三にしたエリート気取りの批評家でもダメ。)

それから、人間を好きである必要もある。(あと重要度は下がるけど、ドラッグにも寛容でステージライティングも好きじゃないといけない。)まるでヒエロニムス・ボスの絵のように、人々があらゆる所にいるから。太った人たちが憑かれたように体を揺らしていたり、仁王立ちしてたり、空に向かって手を振ってたり。眼鏡の小柄な奴らが5分ごとにパイプに火をともしていたり。行き過ぎちゃった女の子達が迷子になったままゆっくりクルクルまわってたり。猛烈にいちゃいちゃしてる夫婦たちがいたり。(ベビーシッター見つかって良かった!)トイレも、ホールも、通路も、身悶えるようなヒューマニティで満ちてる。赤に、緑に、白に明るく照らされ、誰もが"the swim"とthe Carltonのミックスを踊ってて、叫びながらグロウスティックを放り投げてる。恍惚の群衆は、トレイ・アナスタシオがジャム開始後8分目にマイナーCのコードを弾いたって以外に何の理由もないのにハグしてキスし合う。まさに異世界。でも何故か強烈に、大切な気がする。

でも何より重要なこと:裁くなかれ、音楽も、人も。どれだけ恥ずかしいことをしちゃっても、見ちゃっても。なぜならそこは重要なポイントじゃないから。ポイントは、Phishのショーでは全てが「アリ」ってこと。ポイントは、そこでは誰も君を裁く人はいないということ。(それどころか本当に、逮捕さえされない:僕が入場したとき、検査してる警備員が友達のバッグを開けた時、うっかりそこに仕舞ってた袋入りのマリファナを見つけたんだけど、黙って通してくれた。)

ポイントは、そこに行くと、4時間に渡る「音楽」が聴けて、したいことは何でも出来て、誰も邪魔しないし、それからその経験を残りの人生でずっと繰り返すことが出来るということ。僕はもう行かないけど、みんな1度は行くべきだ。





2カ所ほど自分でも読み切れなかった箇所があるので美文とは言えない出来ですが、概要は読み取って頂けるかと思います。原文はこちら:
http://www.esquire.com/blogs/endorsement/phish-madison-square-garden-review-120309#ixzz0aMAUwuKz

ちなみに私から補足情報を加えさせて頂けるならば、
・マディソンスクエアガーデンは警備がギスギスしてなくて、かなり居心地良かったです。老舗だし都心だし、客の扱いに慣れてる。迷惑かけなきゃ何でもオッケーな空気が厚い。一方で12/5のツアー最終日の会場はバージニアの片田舎(DCから2時間半)で、会場側はヒッピーの大群にドン引きしたおじいちゃんボランティアって感じで、運営が全然スムーズじゃない。ドラッグに厳しいどころかビールは1人4杯まで(!)、セカンドセットの途中なのに10時半で販売終了。アルコール取り締まりナントカ会がえらそーに仕切っててウザイー。会場による違いはかなり大きいなぁと思いました。

さてこの記事、ほんとうなずける点が多い。大筋で同意。いや、この著者と違って私はまだもうちょっと見たいですけどね。
・私の今回の席はステージから遠く、音も貧弱であった。
・もっと解放的な、Phish主催のフェス(野外)で見てみたい。
・たまにはパーーティーーー!したい。
そんな理由で。

ちなみにこの日のショーを聴いてみたい方は、こちら:
http://livephish.com/live-music/0,517/Phish-mp3-flac-download-12-2-2009-Madison-Square-Garden-New-York-NY.html

あ、そろそろボルチモアに旅だってきます>Garage a trois

Saturday, December 19, 2009

雪やこんこん

あられやこんこん。雪は、静かなのがいいね。静かなのに、ふと目をやると景色が変わっている。しびれる。

積もった雪を蹴りながら散歩し、この歌を口ずさんでも、横を歩く旦那は全くの無反応。あー私、雪やこんこんを知らない人と結婚しちゃうなんて何て勇敢なチャレンジャー!

昨日の夜から大雪が降っております。一説によると、70年ぶりの大雪とか。

↓今から12時間くらい前。

↓ついさっきコンビニ行ったとき。


今日は早起きして雪景色を見るぞーと思ったけど、結局起きたの10時くらい。

冬は早朝、と枕草子にも書いてありました。

は、つとめて。の降りたるはいふべきにもあらず。のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎ熾して、炭もて渡るも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白き灰がちになりて、わろし。

(現代語訳:冬は、朝早い頃がよい。雪の降ったのはいうまでもない。霜のとても白いのも、またそうでなくても、とても寒いのに、火を急いでつけて、炭 をもって通っていくのも、とても似つかわしい。昼になって、寒いのがゆるくなってくる頃には、火桶の火も、白く灰が多くなってしまい、よい感じがしない。)
wikipediaより。
うんうん、分かる。早朝とはいえないが一応、午前中には起きて散歩に行ったから良しとしよう。

しかし早朝じゃなくたって、ビルとビルの合間だって、ちょっとしゃがんでみたなら、目の前は全て出来たての汚れひとつない膜に覆われているのだ。輪郭の柔らかい膜はとぎれることなく、その中に暖かい動きを包んでいる。舌と喉をひらいて腹をふくらませ、冷たさと湿り気を一気に体の真ん中まで招き入れてみたならば、そのまま瞬時に、遠くはるか見知らぬ遠くへ螺旋の思い出をたどって戻れるようだ。この白さに目をうばわれ、静けさに耳をうばわれ、空っぽになったみんなの記憶に。目を閉じゆっくり暖かい息を吐く。

Friday, December 18, 2009

Garage a Troisインタビュー


Garage a Trois - Skerik率いる音楽界の大物たち


Garage a Troisと聞いてまず初めに私が思い浮かべるのは、大物ぞろいのオールスターバンドということだ。でも、それじゃ余りにも舐めた評価かもしれない。このバンドは、サックスのSkerik、ギターの名手Charlie Hunter、ドラマーのStanton Mooreの3人によるトリオとして始まり、後にヴィブラフォンのMike Dillonを迎え入れ、タイトな構成で脂の乗ったファンクの野獣へと成長した。後にCharlie Hunterはグループを離れたが、その代わりに今もっとも忙しいキーボードプレイヤーの1人であるMarco Beneventoが2007に正式メンバーとして加入している。 Beneventoが加入しほどなくして、彼らは作曲面によりフォーカスを当て始めた。その成果は、発売されたばかりの新作Power Patriotで確認することが出来るだろう。 Glide誌のJoe Adlerが、Skerikとのインタビューの機会を得た。バンドの歴史、その道のり、そしてBenevento加入について聞いた。

Skerikのことを良く知らない読者に、今までの音楽的な背景を教えてくれる? いつどんなひらめきで音楽を始めたの?

そうだな、父が音楽に入れ込んでたんだ。特にジャズとクラシックのすごいファンだった。で、母はピアノを弾いたし、聖歌隊で歌ったりなんかもしてた。だから音楽は生活の一部だった。「これを演奏するか死ぬかだ」みたいな、狂気の押しつけみたいなものは無かったよ。音楽を演奏すると、周りが喜んでくれたんだ。というか音楽だけが、悪い意味じゃなく注意を引きつける唯一の方法だったかも(笑)。子供の頃って、親が話しかけてくるときは必ず説教くさかったりするでしょ。しかも俺はかなり悪い子だったんだよな。

じゃあ、音楽がSkerikを、悪の道から救ったって感じかな?

いやいや、そんなことはないよ。ただ音楽は、自分がやっても周りの人の機嫌を損ねなかったんだ。それは良いことでしょ。で、ひとつ覚えさ。

Garage a Troisについて聞きます。新作を何度か聴いたけど、とてもダイナミックなアルバムだよね。どんなプロセスでレコーディングされたの? バンドみんなで作曲したの?

まず今どき、例えば良いミュージシャン達と演奏したいとするじゃない、スキルの高い人たちと。普通に考えてもこういうタイプのミュージシャンは他のミュージシャンやなんかから引っ張りだこってことが多い。だから最近じゃ究極の資源は時間なんだよね本当に。それが一番、お金を喰うところ。手に入るお金はもっぱら、時間のために、もしくは時間を節約する方法、それか時間を生み出すために使ってるよ。このバンドは特にひどい、いわば時間の犠牲者だよ。だって4人で集まれる時間がほとんど無いんだから。

Stantonは、Galacticと彼のトリオですごく忙しいし,ソロのClinicのプロジェクトもある。Marcoも彼自身のトリオでいろんなことが進行中だし、それにBenevento/Russo Doもある。マイクはLes ClaypoolやAni Difranco、Go Go Jungle、Dead Kenny G'sなどなどとプレイしてて、で俺は今のところ自分のプロジェクトに取り組んでる。とにかく皆を集めるのが大変なんだ。だからこのバンドにとって重要なのは、いや他のバンドにとってもだけど、それぞれの時間で作曲して、曲の断片を持って集まることなんだ。スタジオに入る時なんかにね。スタジオを予約したら、皆がそれぞれいくつか曲の切れ端を持って来て、あとは実際に演奏して、どうやったらバンド全体で一番良く聴こえるかをアレンジしていくんだ。あとは微調整。かなりタイトな状況だけど、みんなすごいんだ。それにスタントンは有能なスタジオドラマーで、どんな曲を持っていったって瞬時に覚えられるんだよ。すごい複雑なリズムの転調(metric modulation)とか、とんでもないひねりが入ってるような曲でもね。そんなのだって彼はさらっとこなすんだ。ちなみに作曲はMarco、Mike、そして俺がほとんどをしていって、スタジオで一気に全てをプレイしたんだ。

アルバム中どの曲を、Skerikが書いた?

Power Patriotは俺のだな。Mike Dがタイトルを考えてくれたんだ! あと、Purgatoryも俺のだ。あと、いくつか断片的に書いたのはあるよ、ちょっとしたメロディーをいろんなところで。

Fragileは誰が書いた? Marcoっぽいな、って気がするんだけど。パワフルな曲だよね。

そう、Marcoが書いた曲だよ。彼のアンセムの1つ。彼はそういう、歌入りのヤバい曲を書くんだよ。MarcoとMikeが、パワルフなハーモニーをこのアルバムに持ち込んだね。2人ともそれぞれのバンドで最近たくさん作曲していて、面白いコード進行をかなり取り入れてるのと、ハーモニーに対してかっこいいメロディーを書いてる。ほんとに彼らがこういう音楽を持ち寄ってくれてラッキーだったよ。すごく面白いからね。だってアルバム全体で俺のソロは短いのが1個だけ。あとは相づちをひと言、ふた言みたいな感じであちらこちらで吹いてるくらいだな。このアルバムは、ソロ中心では全然無いんだ。焦点はインプロビゼーションでは無い。これは、作曲に関するアルバムなんだ。台本があって、アレンジも決められているっていう風に、しっかり作曲されてるんだ。

Charlie Hunterが参加した過去2作のアルバムと今作の大きな違いは何だと思う?

その2作は、もっと開放的だった。収録されてた曲は開放的で、それぞれがインプロビゼーションのための出発点だったんだ。もしくはなんていうか伝統的な、盛り上がるヤマ場があって、ソロがあって、またがヤマ場があるようなスタイルだった。その一方で新作が、曲の頭から終わりまで完全にあらかじめ全部書かれてアレンジもされていたのに対してね。2、3曲はいわゆるソロの入った曲があるけど、それで全部。その、ソロのある曲ってのは、ほんとにマジでイカれてるんだ、、、Computer Crimesって聴いた? すごく良い曲で、エンディングがすごい美しいんだ。というかね、俺らはみんなこのレコードが完成したことがすごく嬉しいんだ。リリースされるまでにこんなに時間がかかってしまって、本当にイライラしてたから。

すごく良い曲だよね。アルバムのレコーディングから1年半くらいたってしまってるんだっけ?

そう。ほんとにツイてなくてさ。いろいろ、うまく行かなかったんだ。でもやっと、なんとかまとまったね。ほんと、完成して嬉しいよ。なにしろ皆に聴いてみて欲しい。良い曲が揃ったアルバムなんだよ。特に最近リリースされてる、Grizzly Bearの新作とかDeerhoofとかそういうバンドや、Queen of The Stone Ageとかもそうだけど、作曲とアレンジ面で異常なくらいの作り込み(hyper compositional)がされてるアルバムが出てきてる時っていうタイミングもね。俺らの新作が、この辺のアルバムの仲間になるような感じで世に出るってのはほんと気分が良いよ。

確かに最初に聴いたとき、作曲面が突出してる感じがしました。初めはちょっと難しいなっていう感じも。特に今までの作品を知ってたから。でも方向性に変化があったんだなって分かってからは、その攻めのスタイルをすごく気に入ってしまいました。では聞きます。思い切って教えて欲しいんだけど、バンドにとってのMarcoとCharlieの違いは何?

人間同士のことだから、いつだって誰かがグループに入ってきたら、全てが変わる。特にCharlieとMarcoは全くタイプの違う人間でありミュージシャンだ。でも音楽的には共通する点が多いんだ。どちらとも、ベース音を使った全体を支える基盤と、ハーモーニーとメロディーという要素を同時に担当してるから。それってすごい責任だし、過去60年間に脈々と、特にハモンドオルガン奏者が追求してきた伝統だよね。

つまり、Charlieの代わりに他のギタープレイヤーを迎え入れることができなかったのは、彼の役割を埋めることができるギタープレイヤーが見つからなかったから?

違う、違う、そうじゃないよ。つまりさ、俺がプレイするようなバンドは、楽器の編成じゃなくてメンバーの個性が特徴なんだ。例えばLes Claypoolは、俺を雇ったときサックス奏者を探してたわけじゃない。俺がやってたことを気に入って雇ったんだ。サックス奏者を雇おうとしてたんじゃ全くない。彼が求めていたのは、正しい姿勢、それから彼のやってることをバックアップする適切な色合いだ。だから俺も、誰かがバグパイプを演奏しようが、ファゴットだろうが、関係ないんだ。もし誰かが、音楽に対する筋の通った視点と、強い説得力のある個性を持ってたら、俺はその人とプレイしたいんだ。Marcoはもともと良い友達で、ミュージシャンとしても最高。だから、俺らにとって当然の選択だったわけだ。とてもパワフルなプレイヤーで、かつ良い友達だったCharlieのような人の後に、一緒にプレイする相手としてもね。

11月から始まる今回のツアーにあたって、新しいアルバムの曲や、昔の曲を覚えなおす時間は取るの?

ほら、この辺の曲ってずいぶん前にレコーディングされてるわけ。もう1年半くらい演奏して来てるんだ。だからその音については裏も表も知り尽くしてるんだよ。

新しい曲はあるのかな?

いつだって俺らは新しい曲をやるんだけどさ、ショー自体たまにしかやらないから、お客さんはどれが新しい曲なのか分からないんだよね(笑)。ここ2、3年は、年に3回とか5回とかしかライブをやってない。しかもそのほとんどがニューオリンズのジャズフェスティバルだった。だから本当にすごいことになると思う。全くの新しいコンセプトで詰めに詰められた音を2、3時間、ライブでお客さんにがっつり浴びてもらうんだから。俺らはこの音楽を隅から隅まで知ってるし、かなり複雑な音ではあるけどめちゃくちゃロックするよ、オーディエンスの目の前でね。この4人の組み合わせなら、何をどうすべきか今ならはっきり分かるんだ。自分たちにも何がしたいのか分かるまで2、3年かかったけど、それから作曲し始めてこのアルバムが出来て、今ではその曲を1年半くらいプレイしてて、今じゃその音楽が俺らバンドと完全に一体化してるんだ。変わり者揃いのこのバンドとね。

今でもジャージの上下で揃ってプレイするの?

いやいや。何年も前にCharlieとやってるときに止めたよ(笑)。あれはイカしてたよね。そういうコンセプトって良いと思うんだ。あれみたいな団結力のある演出は好きだな。たとえ簡単なものでもね。インストルメンタルミュージックをやるバンドってどうしても、気取った感じになりがちでしょ。真面目くさっちゃってさ。コスチュームがあることで、「ほらただの音楽だよ、ライブを楽しもうよ」って気分に戻れるんだ。俺らは、99%が野郎のオーディエンスに向けて度肝抜かせてやるぜ、って意気込んでる超絶テクのフュージョンバンドじゃないし! そういう音楽も聴いて育ってきたけど、ライブだと退屈だよね。そんなの誰も聴かなくて良いよ。

前に1度Garage a Troisを見た時、君たちはジャージを着てステージでぐるぐる走競争してたよね。しかも楽器を手に取る前に。お客はすっかり夢中になって、君たちが最初の音を出す前に君たちの味方についてました。あれはパーティでしたね。ちょっとした出来事でした。

でもね今のところ、Marcoと一緒にコスチュームやユニフォームを切る着るべきだな、とは思ってないんだ。なぜならステージの俺らを見れば、楽しんでるってのが一目瞭然だからね。Marcoはとてもポジティブな人物で、ライブで演奏するのが大好き、だからいつも笑ってるし、おどけてる。だから誰もショー中に「ジャズっぽい表情」をしちゃったりはしないんだ。

ひとつ提案させてもらえるとしたら、昔のヨーロッパみたいな白いかつらをかぶってアメリカ軍のプロパガンダポスターのパロディをするのはどうだろう。American Patriotと、Power Patriotをかけて。(訳者注:参照画像。)

(大笑い)それは思いつかなかったよ。Power Patriotってタイトルは、マイクDのアイデアだったんだよ。彼はテキサスで育って、父親が牧場を持っていたんだ。そこの雄牛がいつも出かけてってはその辺の牛全部をファックしちゃってさ、それでPatriotって名前が付けられたんだ。で、マイクがPowerって言葉を付け加えたんだと思う。何せその牛は、、、性的にパワフルだったからね。というわけで全くアホらしい理由なんだ。俺らも雄牛の格好か何かすれば良いかもね、闘牛士とか。18世紀のアメリカン闘牛士ってわけ。ほんとにそういう人がいたのかは知らないけど。ショーに招くのもいいかも!

他には何が進行中なの? Syncopated Taint Septetは続行中?

次の春にGATでライブアルバムを出そうかなと思ってるんだ。だからSeptetはそんなに活動してないね。でもDead Kenny G'sのレコードが2、3週間前に出たばかりだ。これも本当に嬉しい。Dead Kenny G'sは西海岸のツアーを終えたばかりで、12月にもちょっとショーをやる。こっちも好調だね。西海岸ツアーは本当に良かったんだよ。良い曲もいろいろ書いてるしね。インプロビゼーション寄りのバンドで、お手本としてArt Ensemble of Chicagoを想定しているような感じだよ。イカれた曲作りと、既成曲がいつ飛び込んで来るか分からない先の読めないインプロがたっぷりなんだ。

私もDead Kenny G'sのライブ音源をいくつか聴きましたが、すごく良かったです。

わーありがとう。最近のショーをもし聴いてくれたとしたら、それが正に今のDead Kenny G'sの境地を表しているはずだよ。

Les Claypoolとは何か進んでる?

彼とは今年はやってないな。でもMike Dは今もやってるはずだけど。

つい最近Mike DをAni Difrancoのショーで見たんです。あの環境で彼を見るのはとても面白かった。もっとアバンギャルドな彼のいつもの仕事とはかなり違うので。

彼はすごく楽しんでるよ。それにAniは本当にクールなんだ。俺らみんなの良い友達でもある。実はGATのニューアルバムをレコーディングしてるときも彼女はスタジオにいたんだ。彼女の夫であるMike Napolitanoがエンジニアをしてたからね。彼女の作るラザニアにちなんで付けられた曲名もあったんだよ。でも後で変更されちゃったけど。彼女のラザニアは素晴らしいんだ!

元のインタビューはこちら:
http://www.glidemagazine.com/articles/55383/garage-a-trois-heavy-hitting-with-skerik.html



来週ライブを見る予定のGarage a Troisのインタビューを、勝手に翻訳してみました。Skerik、言葉で話しても意外と饒舌なんですね。そして思ったよりずっと「まとも」! というか私が勝手に超エキセントリックなキャラクターを想像してたみたいです。こんな↑写真ばかり見てきたからでしょうか。とにかくいつも「目ヂカラ」が強くて、写真からも伝わる「ただ者じゃない」感。あんまりインプロの無いSkerikってどんなだろう。4人で音圧すごそうだな。フィジカルに浴びる感が楽しめそう。しかと、目撃しようじゃないですか。

Wednesday, December 16, 2009

はっきりとした音楽の効用

先々週のことであるが、続けざまにいくつかライブを見た。12/2&3にニューヨークでPhish、12/4にロードアイランド州プロヴィデンスにてMedeski, Martin & Wood、そして12/4はバージニア州シャーロッツヴィルにて再びPhishという音楽三昧の4日間。(ついでに12/2はThe Everybody Orchestraも。)4日間でざっと1720キロの旅だ。しかもひとりで。


↑プロヴィデンスにてMedeski, Martin & Woodのライブ後に立ち寄った町中の屋台。ラーメンではなく、ホットドッグやハンバーガーが売ってる。

いやー楽しかった。そして旦那からはちょっとした白い眼。まぁまぁまぁ。

何でそんなに移動して、ライブを見なくちゃ行けないのか? と聞かれたらもう、「美容と健康のため」としか。踊りまくってお肌もツヤツヤである。もしくは「正気を保つため」。決して冗談ではない。何かが静かに飽和点に達した時に、東京にいたらほとんどit's automaticな感じで車を走らせ草津の湯に向かってしまう、そんなのに似た自然な営みだ。残念ながらアメリカに温泉らしい温泉はないが、ライブミュージックがある。

4日間で4つのショーを、3つの州で見る。1回のライブだって楽しいのに、それを4日かけて旅しつつ積み重ねる。ひとりツアーであり、フェスである。祭り。祭りって典型的な「ハレ」状態だ。ハレとケ、のハレね。晴れ着のハレ。昔は共同体のお祭りやら、結婚式やら、なんやかんやハレの場があった。正月やお盆も、今よりリアリティがあったに違いない。今じゃ、義理でやってる感じが強いような。(私が東京しか知らないからかな。)個人の自由が増えて村や親族の集まりをスルーして良くなった分、日常生活の積み重ねでたまったストレスみたいなものは否応無しに自力で処理しなくちゃいけなくなってる。うまく処理できないと、風邪ひいたり、嫌な人になったり、離婚の危機が訪れたり、骨折したり、何かを諦めたり、上司の悪口を言ったりしちゃうんじゃないかな。個人主義の良し悪しだ。(ちなみにハレとケについてはこちらwiki。)


↑12/2phishの様子。ステージ遠いが、真ん中なのでライトがキレイであった。

日常のルーチンから完全に離れて、ほっと一息ついてみること。その地点から自分を眺めてみること。旅行に行ったり、うまい飯くったり、温泉行ったり、マッサージ受けたり、新しいセックストイ買ったり、山登ったり、酒飲んだり、LSD舐めたり、瞑想したり、迷走したり、いろいろ。遊び過ぎても日常と乖離が始まって本末転倒だし、真面目過ぎてもどんより行き詰まる。そこは腕の見せ所。どちらにしても、生活が滞りなく流れるように自分で工夫しなくちゃいけない。誰も、大事なところでは面倒を見てくれないのだ。健康管理は大人の自己責任である。時々ハレの場を自分で演出するのは、今ドキの生きる知恵。

私の次の予定は、 来週12/21、隣町ボルチモアであるGarage a troisのライブである。平日月曜なのでさくっと、であるが外しちゃいけない知恵の実践の一環である。

Garage a troisについては後でもうちょっと紹介してみようかと思うが、とりいそぎyoutubeに上がってるライブ映像をご紹介しておく。かっこいい。踊れる予感、たっぷりである。

Monday, December 14, 2009

ほら、直線より曲線のが良い(笑

これは、フロリダで旦那の大学時代の親友の家に泊まった翌日に撮った写真。ダーツボードを設置したが、点数を書き込む黒板(black board)は無く、「いや板(board)ならあるよ」と親友がもってきたのがこの板。なのでダーツの進行をペンで書き込んだ。最初は定規でまっすぐな線を引いて、それぞれ等間隔。間違えて書き込んだ箇所を平たいナイフ(キリ、っていうんだっけ)で削るという几帳面さまであった。2つ目になると点数を数えるのが省略され、3つ目では確か謎のローカルルールが大幅に盛り込まれていた。線は思い切りのある曲線。4つ目は、たぶん新しいゲームを発明したんじゃないかな。スピリチュアルな感じすら。



飲んで食って吸って投げて叩いて(PS2版太鼓の達人)大笑いして、楽しい夜であった。で、ダーツも言葉のいらないコミュニケーションだな。

Sunday, December 13, 2009

旦那による料理の五段階評価

よく料理をして旦那と食べるが、ほとんどの場合「この料理、おいしい?(好き?)」と聞いてみる。だいたい、返事のバリエーションは5つ。

5 Very Good
4 Pretty Good
3 Good
2 OK
1 Not a big fan

日本語訳:
5 とてもおいしい
4 かなりおいしい
3 おいしい
2 悪くはない
1 大ファンとは言えない

この順番に5段階である。昨日作ったカレーに対して珍しく「Very Good」と言ったので、「それはいつものPretty Goodより上なんだよね?」と確認してこの並び順が確定できた。

日常的に手料理を食べさせる機会は今まで無かったので、一緒に暮らし始めて最近やっと表現の細かいニュアンスが分かってきたのだ。料理の評価に限らず旦那と私の間でのコミュニケーションはかなり円滑になってきている。私の方では適当にブロークンな話し方をすることで必要なことを効率的に伝える方法も身につけたし、前はしばしばあった、英語ばかりで頭がオーバーヒートするような疲弊感も無くなった。(外に出ると相変わらずキチっとした話し方を心がけるが、夫婦の日常生活でそれほど的確さの要求される内容なんて滅多に無いのだ。)同時に旦那の方でも、難しい単語、極端なスラングを使わない話し方、私の表情を読んで別の表現方法で言い直すなどが前よりスムーズにできるようになってるに違いない。

だからこそ辛いという面がある、という思いが最近ぷくぷくと膨れ上がっている気がする。ま、引っ越したばかりで友達もいなくて、旦那とのコミュニケーションが必要以上に存在感を帯びてしまうのも大きな原因だとは思うけど。英語が流暢になってきたからこそ、上滑りな感じというか、重要なことが全然伝わらないという感覚が拭えない。重要じゃない瑣末なことも伝わらなかった頃は、そんな悩みはなかったのに。

いつだって壁の向こうには壁がある。

重要なこと、って何か?って日本語でも説明は難しい。根本的な価値観、世界観に関わることってのは分かっているんだけど。例えば、丸い屋根の家がある。丸いパンを半分に切って置いたような。で、私は「いいなあの家」って言う。旦那は「何で?」っていう。「丸いから」って私は言う。「何で丸いのが良いの?」って旦那は聞く。あれ、真っすぐより丸い方が良くない? 家が直線で構成されてるのは、その方が安くできるっていうだけの理由じゃないの? って私は思う。簡潔に言う、「曲線のが直線より好きだから、、、」「なるほど、、、」。お互い、腑に落ちない。伝わってる感覚が無い。

先日フロリダで、南アフリカ出身で80年代に学生としてアメリカにやってきて今は経済学の教授をしている女性に紹介され、しばし2人で話す機会があった。最初に見た目の話し方から、インドかパキスタンあたりの出身だろうと私は踏んだ。私は日本からやってきた。あなたはどこの出身ですか?と聞くと、南アフリカだという。しかも彼女はアパルトヘイト下で、自由な移動が許されず小さな村から出ずにごく小さな世界で育った。アメリカに来たことでやっと差別される側から抜け出し、あらゆる当然の平等さを得ることが出来た、と。

それはもちろん言うまでもなく素晴らしいこと。それでもしかし、育った村の考え方と違う文化に馴染むのには本当に苦労した、と言っていた。文化が違えば、根本的な価値観が違う。世界に対する眼差しが違う。例えばこんな感じの実験があったという。魚が入った水槽を撮った写真がある。いろいろな国の被験者に、「何が見えますか?」と聞く。中国人は、「水槽」と答える。アメリカ人は、「魚」と答える。それくらい根本的に世界観が違うのだから、馴染むには大変な労力を要する、と。特にアメリカは強烈な個人主義が行き届いている。私たちの文化はたぶん、程度や質の差はあれ全体のバランスをもっと重視する。

これが、南アフリカ出身の彼女が言っていたことの概要だ。よく分かる。切実に分かるよ。アメリカに来るまでは、南アフリカ出身のアパルトヘイト経験者と「そうそう!分かる!」という体験をするとは思わなかった。Awayな場所では、チームメイトとの絆も強まるというものだ。日本にいると韓国料理はエスニックでエキゾチックな部類に入るが、こちらでは白米に味付けせずに炊くというだけでもうすっかり、心温まる故郷の味の部類に入っている。

魚と水槽、直線と曲線。そしてなぜそれを選びとるかということを、説明できると思うか、説明できないと思うか。旦那は多分、言葉で説明できないことはあんまり無いと思っている。私は、すごくたくさんあると思っている。言葉で説明できないこと、説明できない部分がすごく大事だと思っている。説明してはいけないことが多いと思っている。その違和感を、言葉で説明することは、もちろん簡単ではない。

でも、不可能とは言わない。よく分からないけど、ニュートン力学と量子力学の違いみたいなものかもしれない。日常レベルではパラダイムが一気に変わるなんてことは無くて、ちょっとずつ混ざって平衡点を探して行くんだろう。

今のところ「ワケの分からない」話し方でクッションを膨らまし続けるしか無いかな。大切なことは、五段階で評価したりしない。今日の予定は素粒子のようにただよっていて、あなたが投げかける「今夜は何をする?」という質問は顕微鏡の光のように、素粒子を並べ替えてしまうのだ。分かったような、分からないような、そんな話し方で相手を困らせている。それは私が必死に抗ってる姿だ。


オマケ:魚と水槽の話、ソース見つかるかなと思って検索したら、こんなコラムがあった。これを読んだのかもしれないな、彼女は。魚と水槽の話を紹介しつつ、個人/全体、理性の限界/無意識の働きみたいなことを、経済発展と結びつけて話してるNY Timesのコラム。こちら


旦那が珍しくVery Goodと評したカレー。普段のインド風じゃなくて、小麦を使った方法でさらにじゃがいもも入れて作ってみたらやっぱり学校の給食を彷彿とさせるテクスチャーに。私は好みじゃないのだが、案の定旦那は喜んでた。まぁたくさん食べてくれるのは、嬉しいものだ。