Monday, December 21, 2009

Phishよい音、いちどは踊れ♪

ずっと見たかったバンドであるPhishをついに見たのに、感想ひとつ無いのも個人ブログとして寂しい。NYのショー2回はほんっと楽しかったのよ。でも自分で書く前に、ぼんやり言いたいことが全部くっきり書いてあるような記事を見つけたので、それをまた勝手に訳してお届けしてみる。

私のPhishデビューと同じ12/2のマディソンスクエアガーデンでPhishライブデビューをした、米Esquire誌のウェブディレクターが12/3に投稿した記事です。いやあ面白い。

Seeing Phish Play Madison Square Garden (Once)
December 3, 2009 at 12:40PM by Eric Gillin

昨日まで、Phishは1曲もしっかり耳を傾けたことが無かった。彼らの音楽を全く聴いたことがなかったというわけではない。僕はアメリカ北東部の大学に通ってたわけだし、1度や2度はPhishが耳を通りぬけたことは間違いない。でも彼らには、まるでベジタリアンが子牛の煮込みを考える時のような気持ちを抱いてきた。もちろん美味しいでしょうよ、なんでみんなが好きなのかも分かるよ、でも自分はレストランで注文しないよ、という感じ。

そして今でも全体的に考えて、Phishは僕の好みとは言えない。でもあなたが音楽を好きならー例えバンパーステッカーだらけのおんぼろボルボを運転したことがなくても、履き古したコーデュロイを持ってなくても、飛び級クラスの授業を取ったことが無くても、2万人と一緒に室内でマリファナを吸ったことが無かったとしても、1度は彼らのライブを見るべきだ。なぜなら、Phishは「音楽」をプレイするから。音楽の全てを。いっぺんに。あなたが想像しうる全てのジャンルを。ブルーグラスにクラシックにファンクにアリーナロックにカントリーにアバンギャルドジャズにアフロキューバンにパワーポップにフォーク。技術的に完璧。4時間ぶっ通しで。

(でも、あなたが「音楽」好きである必要がある。特定の音楽ジャンルが好き、ではダメ。DCハードコア、イーストコーストラップ、マンチェスターロックが好き、というのではなく。全ての音楽が好きじゃなければいけない。髪を七三にしたエリート気取りの批評家でもダメ。)

それから、人間を好きである必要もある。(あと重要度は下がるけど、ドラッグにも寛容でステージライティングも好きじゃないといけない。)まるでヒエロニムス・ボスの絵のように、人々があらゆる所にいるから。太った人たちが憑かれたように体を揺らしていたり、仁王立ちしてたり、空に向かって手を振ってたり。眼鏡の小柄な奴らが5分ごとにパイプに火をともしていたり。行き過ぎちゃった女の子達が迷子になったままゆっくりクルクルまわってたり。猛烈にいちゃいちゃしてる夫婦たちがいたり。(ベビーシッター見つかって良かった!)トイレも、ホールも、通路も、身悶えるようなヒューマニティで満ちてる。赤に、緑に、白に明るく照らされ、誰もが"the swim"とthe Carltonのミックスを踊ってて、叫びながらグロウスティックを放り投げてる。恍惚の群衆は、トレイ・アナスタシオがジャム開始後8分目にマイナーCのコードを弾いたって以外に何の理由もないのにハグしてキスし合う。まさに異世界。でも何故か強烈に、大切な気がする。

でも何より重要なこと:裁くなかれ、音楽も、人も。どれだけ恥ずかしいことをしちゃっても、見ちゃっても。なぜならそこは重要なポイントじゃないから。ポイントは、Phishのショーでは全てが「アリ」ってこと。ポイントは、そこでは誰も君を裁く人はいないということ。(それどころか本当に、逮捕さえされない:僕が入場したとき、検査してる警備員が友達のバッグを開けた時、うっかりそこに仕舞ってた袋入りのマリファナを見つけたんだけど、黙って通してくれた。)

ポイントは、そこに行くと、4時間に渡る「音楽」が聴けて、したいことは何でも出来て、誰も邪魔しないし、それからその経験を残りの人生でずっと繰り返すことが出来るということ。僕はもう行かないけど、みんな1度は行くべきだ。





2カ所ほど自分でも読み切れなかった箇所があるので美文とは言えない出来ですが、概要は読み取って頂けるかと思います。原文はこちら:
http://www.esquire.com/blogs/endorsement/phish-madison-square-garden-review-120309#ixzz0aMAUwuKz

ちなみに私から補足情報を加えさせて頂けるならば、
・マディソンスクエアガーデンは警備がギスギスしてなくて、かなり居心地良かったです。老舗だし都心だし、客の扱いに慣れてる。迷惑かけなきゃ何でもオッケーな空気が厚い。一方で12/5のツアー最終日の会場はバージニアの片田舎(DCから2時間半)で、会場側はヒッピーの大群にドン引きしたおじいちゃんボランティアって感じで、運営が全然スムーズじゃない。ドラッグに厳しいどころかビールは1人4杯まで(!)、セカンドセットの途中なのに10時半で販売終了。アルコール取り締まりナントカ会がえらそーに仕切っててウザイー。会場による違いはかなり大きいなぁと思いました。

さてこの記事、ほんとうなずける点が多い。大筋で同意。いや、この著者と違って私はまだもうちょっと見たいですけどね。
・私の今回の席はステージから遠く、音も貧弱であった。
・もっと解放的な、Phish主催のフェス(野外)で見てみたい。
・たまにはパーーティーーー!したい。
そんな理由で。

ちなみにこの日のショーを聴いてみたい方は、こちら:
http://livephish.com/live-music/0,517/Phish-mp3-flac-download-12-2-2009-Madison-Square-Garden-New-York-NY.html

あ、そろそろボルチモアに旅だってきます>Garage a trois

Saturday, December 19, 2009

雪やこんこん

あられやこんこん。雪は、静かなのがいいね。静かなのに、ふと目をやると景色が変わっている。しびれる。

積もった雪を蹴りながら散歩し、この歌を口ずさんでも、横を歩く旦那は全くの無反応。あー私、雪やこんこんを知らない人と結婚しちゃうなんて何て勇敢なチャレンジャー!

昨日の夜から大雪が降っております。一説によると、70年ぶりの大雪とか。

↓今から12時間くらい前。

↓ついさっきコンビニ行ったとき。


今日は早起きして雪景色を見るぞーと思ったけど、結局起きたの10時くらい。

冬は早朝、と枕草子にも書いてありました。

は、つとめて。の降りたるはいふべきにもあらず。のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎ熾して、炭もて渡るも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白き灰がちになりて、わろし。

(現代語訳:冬は、朝早い頃がよい。雪の降ったのはいうまでもない。霜のとても白いのも、またそうでなくても、とても寒いのに、火を急いでつけて、炭 をもって通っていくのも、とても似つかわしい。昼になって、寒いのがゆるくなってくる頃には、火桶の火も、白く灰が多くなってしまい、よい感じがしない。)
wikipediaより。
うんうん、分かる。早朝とはいえないが一応、午前中には起きて散歩に行ったから良しとしよう。

しかし早朝じゃなくたって、ビルとビルの合間だって、ちょっとしゃがんでみたなら、目の前は全て出来たての汚れひとつない膜に覆われているのだ。輪郭の柔らかい膜はとぎれることなく、その中に暖かい動きを包んでいる。舌と喉をひらいて腹をふくらませ、冷たさと湿り気を一気に体の真ん中まで招き入れてみたならば、そのまま瞬時に、遠くはるか見知らぬ遠くへ螺旋の思い出をたどって戻れるようだ。この白さに目をうばわれ、静けさに耳をうばわれ、空っぽになったみんなの記憶に。目を閉じゆっくり暖かい息を吐く。

Friday, December 18, 2009

Garage a Troisインタビュー


Garage a Trois - Skerik率いる音楽界の大物たち


Garage a Troisと聞いてまず初めに私が思い浮かべるのは、大物ぞろいのオールスターバンドということだ。でも、それじゃ余りにも舐めた評価かもしれない。このバンドは、サックスのSkerik、ギターの名手Charlie Hunter、ドラマーのStanton Mooreの3人によるトリオとして始まり、後にヴィブラフォンのMike Dillonを迎え入れ、タイトな構成で脂の乗ったファンクの野獣へと成長した。後にCharlie Hunterはグループを離れたが、その代わりに今もっとも忙しいキーボードプレイヤーの1人であるMarco Beneventoが2007に正式メンバーとして加入している。 Beneventoが加入しほどなくして、彼らは作曲面によりフォーカスを当て始めた。その成果は、発売されたばかりの新作Power Patriotで確認することが出来るだろう。 Glide誌のJoe Adlerが、Skerikとのインタビューの機会を得た。バンドの歴史、その道のり、そしてBenevento加入について聞いた。

Skerikのことを良く知らない読者に、今までの音楽的な背景を教えてくれる? いつどんなひらめきで音楽を始めたの?

そうだな、父が音楽に入れ込んでたんだ。特にジャズとクラシックのすごいファンだった。で、母はピアノを弾いたし、聖歌隊で歌ったりなんかもしてた。だから音楽は生活の一部だった。「これを演奏するか死ぬかだ」みたいな、狂気の押しつけみたいなものは無かったよ。音楽を演奏すると、周りが喜んでくれたんだ。というか音楽だけが、悪い意味じゃなく注意を引きつける唯一の方法だったかも(笑)。子供の頃って、親が話しかけてくるときは必ず説教くさかったりするでしょ。しかも俺はかなり悪い子だったんだよな。

じゃあ、音楽がSkerikを、悪の道から救ったって感じかな?

いやいや、そんなことはないよ。ただ音楽は、自分がやっても周りの人の機嫌を損ねなかったんだ。それは良いことでしょ。で、ひとつ覚えさ。

Garage a Troisについて聞きます。新作を何度か聴いたけど、とてもダイナミックなアルバムだよね。どんなプロセスでレコーディングされたの? バンドみんなで作曲したの?

まず今どき、例えば良いミュージシャン達と演奏したいとするじゃない、スキルの高い人たちと。普通に考えてもこういうタイプのミュージシャンは他のミュージシャンやなんかから引っ張りだこってことが多い。だから最近じゃ究極の資源は時間なんだよね本当に。それが一番、お金を喰うところ。手に入るお金はもっぱら、時間のために、もしくは時間を節約する方法、それか時間を生み出すために使ってるよ。このバンドは特にひどい、いわば時間の犠牲者だよ。だって4人で集まれる時間がほとんど無いんだから。

Stantonは、Galacticと彼のトリオですごく忙しいし,ソロのClinicのプロジェクトもある。Marcoも彼自身のトリオでいろんなことが進行中だし、それにBenevento/Russo Doもある。マイクはLes ClaypoolやAni Difranco、Go Go Jungle、Dead Kenny G'sなどなどとプレイしてて、で俺は今のところ自分のプロジェクトに取り組んでる。とにかく皆を集めるのが大変なんだ。だからこのバンドにとって重要なのは、いや他のバンドにとってもだけど、それぞれの時間で作曲して、曲の断片を持って集まることなんだ。スタジオに入る時なんかにね。スタジオを予約したら、皆がそれぞれいくつか曲の切れ端を持って来て、あとは実際に演奏して、どうやったらバンド全体で一番良く聴こえるかをアレンジしていくんだ。あとは微調整。かなりタイトな状況だけど、みんなすごいんだ。それにスタントンは有能なスタジオドラマーで、どんな曲を持っていったって瞬時に覚えられるんだよ。すごい複雑なリズムの転調(metric modulation)とか、とんでもないひねりが入ってるような曲でもね。そんなのだって彼はさらっとこなすんだ。ちなみに作曲はMarco、Mike、そして俺がほとんどをしていって、スタジオで一気に全てをプレイしたんだ。

アルバム中どの曲を、Skerikが書いた?

Power Patriotは俺のだな。Mike Dがタイトルを考えてくれたんだ! あと、Purgatoryも俺のだ。あと、いくつか断片的に書いたのはあるよ、ちょっとしたメロディーをいろんなところで。

Fragileは誰が書いた? Marcoっぽいな、って気がするんだけど。パワフルな曲だよね。

そう、Marcoが書いた曲だよ。彼のアンセムの1つ。彼はそういう、歌入りのヤバい曲を書くんだよ。MarcoとMikeが、パワルフなハーモニーをこのアルバムに持ち込んだね。2人ともそれぞれのバンドで最近たくさん作曲していて、面白いコード進行をかなり取り入れてるのと、ハーモニーに対してかっこいいメロディーを書いてる。ほんとに彼らがこういう音楽を持ち寄ってくれてラッキーだったよ。すごく面白いからね。だってアルバム全体で俺のソロは短いのが1個だけ。あとは相づちをひと言、ふた言みたいな感じであちらこちらで吹いてるくらいだな。このアルバムは、ソロ中心では全然無いんだ。焦点はインプロビゼーションでは無い。これは、作曲に関するアルバムなんだ。台本があって、アレンジも決められているっていう風に、しっかり作曲されてるんだ。

Charlie Hunterが参加した過去2作のアルバムと今作の大きな違いは何だと思う?

その2作は、もっと開放的だった。収録されてた曲は開放的で、それぞれがインプロビゼーションのための出発点だったんだ。もしくはなんていうか伝統的な、盛り上がるヤマ場があって、ソロがあって、またがヤマ場があるようなスタイルだった。その一方で新作が、曲の頭から終わりまで完全にあらかじめ全部書かれてアレンジもされていたのに対してね。2、3曲はいわゆるソロの入った曲があるけど、それで全部。その、ソロのある曲ってのは、ほんとにマジでイカれてるんだ、、、Computer Crimesって聴いた? すごく良い曲で、エンディングがすごい美しいんだ。というかね、俺らはみんなこのレコードが完成したことがすごく嬉しいんだ。リリースされるまでにこんなに時間がかかってしまって、本当にイライラしてたから。

すごく良い曲だよね。アルバムのレコーディングから1年半くらいたってしまってるんだっけ?

そう。ほんとにツイてなくてさ。いろいろ、うまく行かなかったんだ。でもやっと、なんとかまとまったね。ほんと、完成して嬉しいよ。なにしろ皆に聴いてみて欲しい。良い曲が揃ったアルバムなんだよ。特に最近リリースされてる、Grizzly Bearの新作とかDeerhoofとかそういうバンドや、Queen of The Stone Ageとかもそうだけど、作曲とアレンジ面で異常なくらいの作り込み(hyper compositional)がされてるアルバムが出てきてる時っていうタイミングもね。俺らの新作が、この辺のアルバムの仲間になるような感じで世に出るってのはほんと気分が良いよ。

確かに最初に聴いたとき、作曲面が突出してる感じがしました。初めはちょっと難しいなっていう感じも。特に今までの作品を知ってたから。でも方向性に変化があったんだなって分かってからは、その攻めのスタイルをすごく気に入ってしまいました。では聞きます。思い切って教えて欲しいんだけど、バンドにとってのMarcoとCharlieの違いは何?

人間同士のことだから、いつだって誰かがグループに入ってきたら、全てが変わる。特にCharlieとMarcoは全くタイプの違う人間でありミュージシャンだ。でも音楽的には共通する点が多いんだ。どちらとも、ベース音を使った全体を支える基盤と、ハーモーニーとメロディーという要素を同時に担当してるから。それってすごい責任だし、過去60年間に脈々と、特にハモンドオルガン奏者が追求してきた伝統だよね。

つまり、Charlieの代わりに他のギタープレイヤーを迎え入れることができなかったのは、彼の役割を埋めることができるギタープレイヤーが見つからなかったから?

違う、違う、そうじゃないよ。つまりさ、俺がプレイするようなバンドは、楽器の編成じゃなくてメンバーの個性が特徴なんだ。例えばLes Claypoolは、俺を雇ったときサックス奏者を探してたわけじゃない。俺がやってたことを気に入って雇ったんだ。サックス奏者を雇おうとしてたんじゃ全くない。彼が求めていたのは、正しい姿勢、それから彼のやってることをバックアップする適切な色合いだ。だから俺も、誰かがバグパイプを演奏しようが、ファゴットだろうが、関係ないんだ。もし誰かが、音楽に対する筋の通った視点と、強い説得力のある個性を持ってたら、俺はその人とプレイしたいんだ。Marcoはもともと良い友達で、ミュージシャンとしても最高。だから、俺らにとって当然の選択だったわけだ。とてもパワフルなプレイヤーで、かつ良い友達だったCharlieのような人の後に、一緒にプレイする相手としてもね。

11月から始まる今回のツアーにあたって、新しいアルバムの曲や、昔の曲を覚えなおす時間は取るの?

ほら、この辺の曲ってずいぶん前にレコーディングされてるわけ。もう1年半くらい演奏して来てるんだ。だからその音については裏も表も知り尽くしてるんだよ。

新しい曲はあるのかな?

いつだって俺らは新しい曲をやるんだけどさ、ショー自体たまにしかやらないから、お客さんはどれが新しい曲なのか分からないんだよね(笑)。ここ2、3年は、年に3回とか5回とかしかライブをやってない。しかもそのほとんどがニューオリンズのジャズフェスティバルだった。だから本当にすごいことになると思う。全くの新しいコンセプトで詰めに詰められた音を2、3時間、ライブでお客さんにがっつり浴びてもらうんだから。俺らはこの音楽を隅から隅まで知ってるし、かなり複雑な音ではあるけどめちゃくちゃロックするよ、オーディエンスの目の前でね。この4人の組み合わせなら、何をどうすべきか今ならはっきり分かるんだ。自分たちにも何がしたいのか分かるまで2、3年かかったけど、それから作曲し始めてこのアルバムが出来て、今ではその曲を1年半くらいプレイしてて、今じゃその音楽が俺らバンドと完全に一体化してるんだ。変わり者揃いのこのバンドとね。

今でもジャージの上下で揃ってプレイするの?

いやいや。何年も前にCharlieとやってるときに止めたよ(笑)。あれはイカしてたよね。そういうコンセプトって良いと思うんだ。あれみたいな団結力のある演出は好きだな。たとえ簡単なものでもね。インストルメンタルミュージックをやるバンドってどうしても、気取った感じになりがちでしょ。真面目くさっちゃってさ。コスチュームがあることで、「ほらただの音楽だよ、ライブを楽しもうよ」って気分に戻れるんだ。俺らは、99%が野郎のオーディエンスに向けて度肝抜かせてやるぜ、って意気込んでる超絶テクのフュージョンバンドじゃないし! そういう音楽も聴いて育ってきたけど、ライブだと退屈だよね。そんなの誰も聴かなくて良いよ。

前に1度Garage a Troisを見た時、君たちはジャージを着てステージでぐるぐる走競争してたよね。しかも楽器を手に取る前に。お客はすっかり夢中になって、君たちが最初の音を出す前に君たちの味方についてました。あれはパーティでしたね。ちょっとした出来事でした。

でもね今のところ、Marcoと一緒にコスチュームやユニフォームを切る着るべきだな、とは思ってないんだ。なぜならステージの俺らを見れば、楽しんでるってのが一目瞭然だからね。Marcoはとてもポジティブな人物で、ライブで演奏するのが大好き、だからいつも笑ってるし、おどけてる。だから誰もショー中に「ジャズっぽい表情」をしちゃったりはしないんだ。

ひとつ提案させてもらえるとしたら、昔のヨーロッパみたいな白いかつらをかぶってアメリカ軍のプロパガンダポスターのパロディをするのはどうだろう。American Patriotと、Power Patriotをかけて。(訳者注:参照画像。)

(大笑い)それは思いつかなかったよ。Power Patriotってタイトルは、マイクDのアイデアだったんだよ。彼はテキサスで育って、父親が牧場を持っていたんだ。そこの雄牛がいつも出かけてってはその辺の牛全部をファックしちゃってさ、それでPatriotって名前が付けられたんだ。で、マイクがPowerって言葉を付け加えたんだと思う。何せその牛は、、、性的にパワフルだったからね。というわけで全くアホらしい理由なんだ。俺らも雄牛の格好か何かすれば良いかもね、闘牛士とか。18世紀のアメリカン闘牛士ってわけ。ほんとにそういう人がいたのかは知らないけど。ショーに招くのもいいかも!

他には何が進行中なの? Syncopated Taint Septetは続行中?

次の春にGATでライブアルバムを出そうかなと思ってるんだ。だからSeptetはそんなに活動してないね。でもDead Kenny G'sのレコードが2、3週間前に出たばかりだ。これも本当に嬉しい。Dead Kenny G'sは西海岸のツアーを終えたばかりで、12月にもちょっとショーをやる。こっちも好調だね。西海岸ツアーは本当に良かったんだよ。良い曲もいろいろ書いてるしね。インプロビゼーション寄りのバンドで、お手本としてArt Ensemble of Chicagoを想定しているような感じだよ。イカれた曲作りと、既成曲がいつ飛び込んで来るか分からない先の読めないインプロがたっぷりなんだ。

私もDead Kenny G'sのライブ音源をいくつか聴きましたが、すごく良かったです。

わーありがとう。最近のショーをもし聴いてくれたとしたら、それが正に今のDead Kenny G'sの境地を表しているはずだよ。

Les Claypoolとは何か進んでる?

彼とは今年はやってないな。でもMike Dは今もやってるはずだけど。

つい最近Mike DをAni Difrancoのショーで見たんです。あの環境で彼を見るのはとても面白かった。もっとアバンギャルドな彼のいつもの仕事とはかなり違うので。

彼はすごく楽しんでるよ。それにAniは本当にクールなんだ。俺らみんなの良い友達でもある。実はGATのニューアルバムをレコーディングしてるときも彼女はスタジオにいたんだ。彼女の夫であるMike Napolitanoがエンジニアをしてたからね。彼女の作るラザニアにちなんで付けられた曲名もあったんだよ。でも後で変更されちゃったけど。彼女のラザニアは素晴らしいんだ!

元のインタビューはこちら:
http://www.glidemagazine.com/articles/55383/garage-a-trois-heavy-hitting-with-skerik.html



来週ライブを見る予定のGarage a Troisのインタビューを、勝手に翻訳してみました。Skerik、言葉で話しても意外と饒舌なんですね。そして思ったよりずっと「まとも」! というか私が勝手に超エキセントリックなキャラクターを想像してたみたいです。こんな↑写真ばかり見てきたからでしょうか。とにかくいつも「目ヂカラ」が強くて、写真からも伝わる「ただ者じゃない」感。あんまりインプロの無いSkerikってどんなだろう。4人で音圧すごそうだな。フィジカルに浴びる感が楽しめそう。しかと、目撃しようじゃないですか。

Wednesday, December 16, 2009

はっきりとした音楽の効用

先々週のことであるが、続けざまにいくつかライブを見た。12/2&3にニューヨークでPhish、12/4にロードアイランド州プロヴィデンスにてMedeski, Martin & Wood、そして12/4はバージニア州シャーロッツヴィルにて再びPhishという音楽三昧の4日間。(ついでに12/2はThe Everybody Orchestraも。)4日間でざっと1720キロの旅だ。しかもひとりで。


↑プロヴィデンスにてMedeski, Martin & Woodのライブ後に立ち寄った町中の屋台。ラーメンではなく、ホットドッグやハンバーガーが売ってる。

いやー楽しかった。そして旦那からはちょっとした白い眼。まぁまぁまぁ。

何でそんなに移動して、ライブを見なくちゃ行けないのか? と聞かれたらもう、「美容と健康のため」としか。踊りまくってお肌もツヤツヤである。もしくは「正気を保つため」。決して冗談ではない。何かが静かに飽和点に達した時に、東京にいたらほとんどit's automaticな感じで車を走らせ草津の湯に向かってしまう、そんなのに似た自然な営みだ。残念ながらアメリカに温泉らしい温泉はないが、ライブミュージックがある。

4日間で4つのショーを、3つの州で見る。1回のライブだって楽しいのに、それを4日かけて旅しつつ積み重ねる。ひとりツアーであり、フェスである。祭り。祭りって典型的な「ハレ」状態だ。ハレとケ、のハレね。晴れ着のハレ。昔は共同体のお祭りやら、結婚式やら、なんやかんやハレの場があった。正月やお盆も、今よりリアリティがあったに違いない。今じゃ、義理でやってる感じが強いような。(私が東京しか知らないからかな。)個人の自由が増えて村や親族の集まりをスルーして良くなった分、日常生活の積み重ねでたまったストレスみたいなものは否応無しに自力で処理しなくちゃいけなくなってる。うまく処理できないと、風邪ひいたり、嫌な人になったり、離婚の危機が訪れたり、骨折したり、何かを諦めたり、上司の悪口を言ったりしちゃうんじゃないかな。個人主義の良し悪しだ。(ちなみにハレとケについてはこちらwiki。)


↑12/2phishの様子。ステージ遠いが、真ん中なのでライトがキレイであった。

日常のルーチンから完全に離れて、ほっと一息ついてみること。その地点から自分を眺めてみること。旅行に行ったり、うまい飯くったり、温泉行ったり、マッサージ受けたり、新しいセックストイ買ったり、山登ったり、酒飲んだり、LSD舐めたり、瞑想したり、迷走したり、いろいろ。遊び過ぎても日常と乖離が始まって本末転倒だし、真面目過ぎてもどんより行き詰まる。そこは腕の見せ所。どちらにしても、生活が滞りなく流れるように自分で工夫しなくちゃいけない。誰も、大事なところでは面倒を見てくれないのだ。健康管理は大人の自己責任である。時々ハレの場を自分で演出するのは、今ドキの生きる知恵。

私の次の予定は、 来週12/21、隣町ボルチモアであるGarage a troisのライブである。平日月曜なのでさくっと、であるが外しちゃいけない知恵の実践の一環である。

Garage a troisについては後でもうちょっと紹介してみようかと思うが、とりいそぎyoutubeに上がってるライブ映像をご紹介しておく。かっこいい。踊れる予感、たっぷりである。

Monday, December 14, 2009

ほら、直線より曲線のが良い(笑

これは、フロリダで旦那の大学時代の親友の家に泊まった翌日に撮った写真。ダーツボードを設置したが、点数を書き込む黒板(black board)は無く、「いや板(board)ならあるよ」と親友がもってきたのがこの板。なのでダーツの進行をペンで書き込んだ。最初は定規でまっすぐな線を引いて、それぞれ等間隔。間違えて書き込んだ箇所を平たいナイフ(キリ、っていうんだっけ)で削るという几帳面さまであった。2つ目になると点数を数えるのが省略され、3つ目では確か謎のローカルルールが大幅に盛り込まれていた。線は思い切りのある曲線。4つ目は、たぶん新しいゲームを発明したんじゃないかな。スピリチュアルな感じすら。



飲んで食って吸って投げて叩いて(PS2版太鼓の達人)大笑いして、楽しい夜であった。で、ダーツも言葉のいらないコミュニケーションだな。

Sunday, December 13, 2009

旦那による料理の五段階評価

よく料理をして旦那と食べるが、ほとんどの場合「この料理、おいしい?(好き?)」と聞いてみる。だいたい、返事のバリエーションは5つ。

5 Very Good
4 Pretty Good
3 Good
2 OK
1 Not a big fan

日本語訳:
5 とてもおいしい
4 かなりおいしい
3 おいしい
2 悪くはない
1 大ファンとは言えない

この順番に5段階である。昨日作ったカレーに対して珍しく「Very Good」と言ったので、「それはいつものPretty Goodより上なんだよね?」と確認してこの並び順が確定できた。

日常的に手料理を食べさせる機会は今まで無かったので、一緒に暮らし始めて最近やっと表現の細かいニュアンスが分かってきたのだ。料理の評価に限らず旦那と私の間でのコミュニケーションはかなり円滑になってきている。私の方では適当にブロークンな話し方をすることで必要なことを効率的に伝える方法も身につけたし、前はしばしばあった、英語ばかりで頭がオーバーヒートするような疲弊感も無くなった。(外に出ると相変わらずキチっとした話し方を心がけるが、夫婦の日常生活でそれほど的確さの要求される内容なんて滅多に無いのだ。)同時に旦那の方でも、難しい単語、極端なスラングを使わない話し方、私の表情を読んで別の表現方法で言い直すなどが前よりスムーズにできるようになってるに違いない。

だからこそ辛いという面がある、という思いが最近ぷくぷくと膨れ上がっている気がする。ま、引っ越したばかりで友達もいなくて、旦那とのコミュニケーションが必要以上に存在感を帯びてしまうのも大きな原因だとは思うけど。英語が流暢になってきたからこそ、上滑りな感じというか、重要なことが全然伝わらないという感覚が拭えない。重要じゃない瑣末なことも伝わらなかった頃は、そんな悩みはなかったのに。

いつだって壁の向こうには壁がある。

重要なこと、って何か?って日本語でも説明は難しい。根本的な価値観、世界観に関わることってのは分かっているんだけど。例えば、丸い屋根の家がある。丸いパンを半分に切って置いたような。で、私は「いいなあの家」って言う。旦那は「何で?」っていう。「丸いから」って私は言う。「何で丸いのが良いの?」って旦那は聞く。あれ、真っすぐより丸い方が良くない? 家が直線で構成されてるのは、その方が安くできるっていうだけの理由じゃないの? って私は思う。簡潔に言う、「曲線のが直線より好きだから、、、」「なるほど、、、」。お互い、腑に落ちない。伝わってる感覚が無い。

先日フロリダで、南アフリカ出身で80年代に学生としてアメリカにやってきて今は経済学の教授をしている女性に紹介され、しばし2人で話す機会があった。最初に見た目の話し方から、インドかパキスタンあたりの出身だろうと私は踏んだ。私は日本からやってきた。あなたはどこの出身ですか?と聞くと、南アフリカだという。しかも彼女はアパルトヘイト下で、自由な移動が許されず小さな村から出ずにごく小さな世界で育った。アメリカに来たことでやっと差別される側から抜け出し、あらゆる当然の平等さを得ることが出来た、と。

それはもちろん言うまでもなく素晴らしいこと。それでもしかし、育った村の考え方と違う文化に馴染むのには本当に苦労した、と言っていた。文化が違えば、根本的な価値観が違う。世界に対する眼差しが違う。例えばこんな感じの実験があったという。魚が入った水槽を撮った写真がある。いろいろな国の被験者に、「何が見えますか?」と聞く。中国人は、「水槽」と答える。アメリカ人は、「魚」と答える。それくらい根本的に世界観が違うのだから、馴染むには大変な労力を要する、と。特にアメリカは強烈な個人主義が行き届いている。私たちの文化はたぶん、程度や質の差はあれ全体のバランスをもっと重視する。

これが、南アフリカ出身の彼女が言っていたことの概要だ。よく分かる。切実に分かるよ。アメリカに来るまでは、南アフリカ出身のアパルトヘイト経験者と「そうそう!分かる!」という体験をするとは思わなかった。Awayな場所では、チームメイトとの絆も強まるというものだ。日本にいると韓国料理はエスニックでエキゾチックな部類に入るが、こちらでは白米に味付けせずに炊くというだけでもうすっかり、心温まる故郷の味の部類に入っている。

魚と水槽、直線と曲線。そしてなぜそれを選びとるかということを、説明できると思うか、説明できないと思うか。旦那は多分、言葉で説明できないことはあんまり無いと思っている。私は、すごくたくさんあると思っている。言葉で説明できないこと、説明できない部分がすごく大事だと思っている。説明してはいけないことが多いと思っている。その違和感を、言葉で説明することは、もちろん簡単ではない。

でも、不可能とは言わない。よく分からないけど、ニュートン力学と量子力学の違いみたいなものかもしれない。日常レベルではパラダイムが一気に変わるなんてことは無くて、ちょっとずつ混ざって平衡点を探して行くんだろう。

今のところ「ワケの分からない」話し方でクッションを膨らまし続けるしか無いかな。大切なことは、五段階で評価したりしない。今日の予定は素粒子のようにただよっていて、あなたが投げかける「今夜は何をする?」という質問は顕微鏡の光のように、素粒子を並べ替えてしまうのだ。分かったような、分からないような、そんな話し方で相手を困らせている。それは私が必死に抗ってる姿だ。


オマケ:魚と水槽の話、ソース見つかるかなと思って検索したら、こんなコラムがあった。これを読んだのかもしれないな、彼女は。魚と水槽の話を紹介しつつ、個人/全体、理性の限界/無意識の働きみたいなことを、経済発展と結びつけて話してるNY Timesのコラム。こちら


旦那が珍しくVery Goodと評したカレー。普段のインド風じゃなくて、小麦を使った方法でさらにじゃがいもも入れて作ってみたらやっぱり学校の給食を彷彿とさせるテクスチャーに。私は好みじゃないのだが、案の定旦那は喜んでた。まぁたくさん食べてくれるのは、嬉しいものだ。

Sunday, November 29, 2009

A tiny little bitch

ある日の午後8時頃、ビリヤードでもしようとバーに出かける直前、ウチの旦那に知らない番号からテキストメッセージ(SMS)が届いた。略語ばかりで意味 の分からない内容。間違いだろうと思い、「間違いでは?」と旦那は返信。すると相手はなぜか信じない。なんか落ち着きなく「キャサリンから番号聞いたんだ よ!ブリトニーだよ!」みたいなノリでメッセージを送ってくる。初めてメール送る相手だから信じてないんだろうと勘違いしているらしい。丁寧に、間違いだ から番号を確認した方がよいと改めて返信する旦那。

そして我々は車に乗り込む。

わざわざ繰り返し返信する旦那に、ずいぶん人が良いなあと感心する。そんなの放っとけばいいじゃん、と私は思う。付き合う必要ないでしょ、と私が言うと、人には親切にするようにと言われて育ったから、と旦那。そ、そうか。

で、 しばらくするとその相手からまたメール。「番号間違えてた。ごめん!」と。ははは、良かったね、とバーについてビリヤードの横で一服する我々。直後に同一 人物からまたメッセージ。「r u girl or boy? what grade ur in?」(女子?男子?何年生?)なんとこれは、明らかに子供である。やはり返信する旦那。

「34歳の男性」。ちょっとw

しばらくするとまた返信。「Don't talk to me. Leave me alone」(私に話しかけないで。放っといて。)唖然とする我々。オマエの質問に答えたんだろっw

間髪おかず、追伸あり。「My father is a cop. Seriously, you'd get arrested.」(お父さんは警官だよ。マジで、アンタ逮捕されるよ。」見事なひっくり返り具合である。

親切にしたのにひどい扱いである。いくら子供でも余りに礼節を欠いてるんじゃないか、っつうかwhat a tiny little bitch...。子供のくせに立派なビッチだよと感心する。

それから我々も飲みつつ黙ってビリヤードをしつつそれぞれ最近のニュースとか、親になった友達のことに思いをはせた。そしたら結局、「親の立場になってみると今どき子供には、これくらいの極端な姿勢を身につけさせた方が安心である」というところで落ち着いた。せちがらい世の中よ。


↑本文とは関係ないけど、フロリダで立ち寄ったビリヤードバー(pool barと米語では呼ぶ)。時々キューが武器になって客同士の喧嘩が起こってるんじゃないかな、と想像したくなるような雰囲気のバーであった。

Tuesday, November 17, 2009

初スカイダイビング in フロリダ

予想通り楽し過ぎ。
ライセンス、取っちゃおうかなあ。そしたら好きな時にひとりで飛べるのだ。
今回はタンデム。熟練者に文字通り縛り付けられて飛ぶやつ。

初めての私とクリスは、カメラマンも一緒に飛ぶオプションを選んで、写真とビデオをあとからもらいました。

↓私の直前に飛んだクリス(真ん中の人)。わーさよならー!
Chris went before me. (The middle one is him.)



高度13000フィートからジャンプ。フィートで言われてもよく分からないが、十分高い。
↓赤い服がわたし。奥は大西洋。
Me in the red at 13000 feet. You can see Atlantic ocean.



↓風が強くて顔もブルブル。ビデオカメラ向けられたら、先日覚えた手話で「My name is Sora」をやろうと思ったけどそんな細かい動きは出来ませんでした。時速200キロとかで落ちてるらしい。
I was gonna say "my name is Sora" with sign language, but impossible. Strong wind, 200km/hour speed.


↓でも何かやらずにいられず。
Still, gotta do something. Didn't know the instructor was with me til I saw the picture.

インストラクターも便乗してくれてたとは知らずw

たのしー。でも鼻の中が乾いて痛いー。

↓と、ジャンプしてから50秒後にはパラシュートひらいて、あとは遊覧。
In less than 1 minutes, the parachute opened, then cruise and enjoy the view.


↓お前アホだな! お前もな!
Yay!



みんな、アメリカに遊びにきてついでに一緒にスカイダイビングしないかい?
ウチの近所(バージニア)でも出来るし、日本よりずっと安い気がするよ。


「今日の気分は最高です
絶望も希望もない
空のように透き通っていたい」
(Take 5 by宇多田)

Saturday, October 31, 2009

沖縄の写真

そういえば、沖縄に行ったときの写真が未公開だった。ケータイで撮ったスナップですが。ひとり旅だったのでタイマー機能を使って自分を撮ったりしてみた。3日間、時々小雨が降る沖縄の厚い雲の下で無目的に車を走らせ、どこにも辿り着かなぬまま戻ってきた旅。今年4月末くらい。話題が古いっ。




















Tuesday, October 27, 2009

コーヒーの話2

 

食べ物を食べる時に、味や栄養だけじゃなくて、その食べ物がどこで生まれどのような過程を経てあなたの前に供されることになったかという物語も一緒に咀嚼しているものだ。コーヒーは遠くからやってきたエキゾチックさがまだまだある嗜好品。だいたい遠くの国から運ばれてくることの多いものだが、日本でも作っている場所があるってご存知だろうか? 沖縄である。(他にもあるかもしれないが、私は知らない。)コーヒーが育つ環境として沖縄がギリギリの緯度と聞いた。

半年程前に沖縄に行った時に、立ち寄ったのがこのヒロコーヒーファームという農園だ。沖縄本島の北端から30分ほど南に行った東海岸側だったと思う。那覇からは2時間以上離れているはずだ。そこではコーヒーを飲むことができて、豆を買うこともできる。私はここで、初めて日本産のコーヒーを飲んだ。

ここのご主人は、大阪出身だがハワイなど海外でコーヒー作りを学んで沖縄で開園したそうだ。そして、無農薬で手摘みのコーヒー。そんな物語、飲んでみたいと思いませんか。美味しいことは間違いないです。沖縄旅行後わりとすぐに渡米してしまったので、持ち帰った分しか飲めませんでしたが、日本にいたらここから通販でコーヒーをしばらく買っていただろうな、と思います。

ヒロコーヒーファームで出してくれるこのレモングラス入りコーヒーの新芽茶も、さわやかで美味しい。買って帰りたいと思ったが、販売はしていなかった。


ヒロコーヒーファームの紹介ページを1件ご紹介しておきます
Posted by Picasa
沖縄でも、ここを含め3軒しかコーヒー農園はないようだ。

どこで歌を練習するか

2ヶ月くらい前から、音楽学校で歌を習い始めた。これまでずっと私は聴く側の人間だと思い込んで来た。パフォーマーとオーディエンスには超えがたい壁があって、私はオーディエンス側であると。

実際の問題として成人した現代の日本人には、酔っぱらってカラオケに行く時くらいしか歌う機会がない。私には女性ボーカルの曲は決まってキーが高過ぎ、サビが歌えない。キーを下げたら低い音が出ない。声に張りも無くて寂しい。それでいつしか自分は救いようも無く歌が下手と思い込むのも無理は無い。

しかし生きて行くと色々学び、賢くもなるようで、ある日私は重要なことに気づいた。プロの歌手が皆最初からうまかったなんてあり得るか? 私にも上達の可能性はあるはず。当たり前だが、どれくらい上達するかは試してみないと分からない。

まず最初に東京の音楽スクールのボーカル科に、お試しレッスンを受けに行った。そしたら、私の声は特に低いというわけではない、と言われた。驚いた。思い込み the 我々の敵。

そういうわけで、今はワシントンDCの音楽学校で週に1度のグループレッスンで歌を習っている。歌は体を楽器にして音楽を奏でるわけで、まずは体を作らないといけない。スポーツと同じ。それから、体をどう使うか。歌い方についてお知識を詰め込んで、思った通りに体が反応して素敵な音が出てくるわけじゃない。週に1度先生から練習法や考え方、コツなんかを教えてもらうわけだけど、うまくなるかどうかは練習にかかっている。

練習といっても、どうやったらどういう声が出るか、どうしたら出したい声が出せるかを探るのが主だ。スキャットのような曲を使ったり、方法はいろいろだが、基本的にはいろいろ奇声をあげまくって、感覚を掴んで行くしかないような気がする。(喉を痛めぬように気をつけつつ。)

しかし我が家はアパートで、両側には別の住人もいるし、気兼ねなく大声を出せるわけもない。歌の練習ってのは、鼻歌の20倍くらいうるさい。車を持っているので、運転中には大声で歌えるが、正しい姿勢は立った状態である。東京ならカラオケボックスがたくさんあるから、ひとりで行って練習できるのに。

この辺は家の近くに鹿の死体が転がっているような人口密度の低さなのに、心置きなく奇声を上げられる場所はない。東京の皆さんで歌が上手くなりたい人は、会社帰りに30分でもカラオケボックスに寄ったら良いと思う。歌を歌うんじゃなくて、いろいろ奇声を上げてみたり、姿勢を変えてみたりして、音を響かせてみたり、楽器である体を色んな風に使ってみる。

結論としては、カラオケボックスのある東京が羨ましい、というだけの話です。あと、ほろ酔いで友達とカラオケに行きたいです。

Sunday, October 25, 2009

ランニングで考える一神教の始まり

先日の10キロランレースのオマケ。走りながら神について考えた。

何かの本で読んだのだけど、一神教が生まれるには、天候や地形などによって過酷な生活を強いられる場所が背景として重要だったという説があるようだ。日本やインドやら、天気が割と良くて、食べ物の心配をそうしなくても生きていける場所では、人は周囲や自然と協調することが重要だったので、神的存在が複数存在する世界観が発達した。一方砂漠のような気を抜くと人間がすぐ死んじゃうような場所では、つべこべ言わずに人々が団結する必要があったので、唯一神が借り出された。

なるほど、うなずける気がする話だ。頭ではなるほどね、と思う。でも実感できるものではない。1人(?)の神様って存在が、全てを作って、全てをコントロールしている、という話を本気で信じられる人がいるなんて、にわかに信じがたいのだ。仏教、神道、キリスト教、なんでもごちゃ混ぜの日本教育ちの私から見ると一神教を受け入れられる世界観というのは、想像を超えた謎。

外国の文学や映画、歌など創作物も好きだけど、共感できるのは一神教信者とは言えない人/物ばかり。一神教と私の間の深い溝は、ブラックホールのような超えられない存在なのか。良いなと思う瞬間はたくさんあるのに、Sun Raや矢野顕子を聴いていてイマイチ全身で乗り切れない限界点みたいなものがあるのも、その溝のせいじゃないかな、って思ってた。(ライブ見てないから何とも言えないが。)

今でもその謎は簡単に想像できるものではないが、先日参加した10キロランニングレースで、ちょっとした手応えのようなものを感じる瞬間があったので書いておく。走ってると変なことを思いつくから面白いのだ。

レース中、6キロを過ぎたあたりで市街地を抜けてしまった。このレース後半部分アーリントン墓地横の片道2車線のハイウェイに入り、2、3キロごとに給水ポイントがあり1キロごとに応援する人が沿道にいるという、寂しい風景。7キロくらいのところで折り返しがあり、市街地に向かってまた退屈な道を戻り始める。その頃、走り続けることが出来なくて歩き始めた。1、2分歩き、また走るの繰り返し。ハイウエイだから沿道に人などほとんどいない。体の重さと呼吸の苦しさしか感じない。その頃だ。コースの脇に、拡声器を持って選手達にメッセージを送り続ける人がいた。

その女性は、選手が胸につけている「ゼッケン」の番号をひとりひとり読み上げ、「2015番、その調子、いいよ!」といった具合で応援しているのだ。ビリに近い組だから、通り過ぎる選手もまばらだが、彼女はずっと元気良く話し続けている。近づくと何を言っているか聞こえる。「1632番、良いペースだよ! その調子で! ゴールまであと1マイル切ってるからね! ゴール地点には、冷たいビールが用意してるよ! なんと、土曜の午前中から堂々とビールだよ! 最高だと思わない? さーひとがんばり!」といった具合。

この「冷たいビール」が、なんと魅力的に聞こえたことか。こんなに何かをありがたいと思ったことはない。彼女が神々しく見えた。そう、まさに神々しかった。体の疲れと渇きに、ビールという言葉が喚起したポジティブなエネルギーは、それ自体が喜びでさえあった。希望こそが生きる喜びだって、そういえばはっぴいえんども言ってたね。「でも幸せなんて、何を持ってるかじゃない、何を欲しがるか〜だぜ〜」って(「はっぴいえんど」って曲)。人間だもの。

それで、元気が出た私は、そうかこうやって、飢えた時に飢えを満たすものをもった人が何か言ったら、すがるように信じるなと思い至った。それが生きる唯一の希望に見えるだろうから。キリストとかムハンマドとか、預言者ってのはそういうことだったのかな、と。つまりね、ちょっと賢い人が、食べ物とか飲み物とか生活必需品へのアクセスをより多く得るとする。それでただそれを人に分けてあげてもいいんだけど、そこで恵まれない人たちを味方に付けようと思ったのかもしれない。そこで、食べ物をあげる前に、食べ物の話をした。想像させた。あと、どうしたらうまく食べ物が得られるかって話をした。神ってやつが言ってることを聞くしかない、何でも知ってるから、と。そうやって大勢で協力すれば、賢さを悪いことに使う人や厳しい自然から自分も守れるしね。やっぱり話が抜群にうまかったんだろうな。

こうやって一神教は始まったんじゃないか。飢えに対する希望が、圧倒的に歓迎されて組織が出来ていくという絵。組織は大きくなると面倒がたくさん起きちゃうけど、最初にわき起こる熱ってのは、ピュアな興奮だ。おめでたい気分の残るまま、頭の中のビールのとろけるような美味しさを楽しみながら、私のレースはゴールを迎えたのでした。おわり。



余談ですが書いておく。はっぴいえんどの曲名を調べたついでに、amazonを見たが、まだ発売中止のままのようだね。鈴木茂氏が大麻所持で捕まったあとにレコード会社が発売中止したみたいだけど、それではっぴいえんどの新品CDが買えない状態。スーパーアホらしい。なんという失礼な話だ。音楽業界がアホで沈んで行くのは良いが、それで音楽作品を道づれにするのは、また別の話で、罪ですよ。

Tuesday, October 20, 2009

シェナンドー国立公園

ちょうど今頃が紅葉のまっただ中ということで先週末、紅葉を見にシェナンドー国立公園(wikipedia)に行ってきました。昼頃ついて、簡単なランチ食べてから、難易度の低いハイキングを2、3時間して帰ってこようという計画で。

その日は曇りだったので、あまり良い景色は見えないかもしれないね、などと話しながら我が家からゆっくり1時間半ほど車で走り午後1時に公園入り口に着くと、係員が告げたのは「公園内の道路は凍結のため封鎖中」。確かに先週一気に冷え込んだとはいえ、凍結とは・・。しかたがないので、車内でカントリー音楽のラジオを聞きながらテキトーに近辺をドライブして時間をつぶしました。


馬や牛がいっぱい


鹿を発見(真ん中に小さく写っている)


近くのレストラン。ダイナーではないが、太ったおばちゃんがコーヒーを何度も注ぎにきてくれるような店です。この辺ですでに、DC近辺とアクセントがちょっと違う。田舎風というのか。


小さな湖の人口ビーチ。遠くから聞こえる知らない鳥の鳴き声が侘しさを際立たせます。車が一台だけ止まっていて、チラリとのぞくと若い男性が助手席にひとり。しばらくすると彼が若い女性を連れて歩いて行くのが見えたので、私たちは邪魔をしてしまったんでしょう。



2時半頃入り口に戻るもまだ閉鎖中。三度目の正直で午後4時半に入り口に行ってみたら、封鎖解除されてました。入り口で15ドル払って、公園内を南北に168キロにわたって走るスカイラインドライブという道路を走り始めます。まあ、とりあえず走ってみようと。


すると、あら、白いものが。


うおっ、真っ白。車の温度計によると外の気温は1度くらい。



紅葉を見に来たというのが冗談としか思えない真冬の風景。



マジ凍りです


寄った売店のおばさんも、いきなり寒くなって昨晩雪まで降って来て、本当にびっくりしていると言ってました。

そんなわけでハイキングなど出来るわけもなく、サービスエリア的な休憩所をブルブル震えながら歩き回ってみて、あとは車でドライブをちょっとして帰って来ました。

スカイラインといえば伊豆ですが、シェナンドーはなんとなく日光とイメージが重なります。ここは戦場ヶ原を思い出させる。




紅葉した葉は雪でだいたい落ちてしまったのかしら。葉は緑か黄色がほとんどの様子。寒い。



すぐに日も暮れて来たので、公園を後にします。

道路の凍結を防ぐために塩をまくらしいんですが、鹿がやってきてその塩を舐めていくようです。塩化ナトリウム。重要なミネラルです。関係ないけど、アマゾンのヤノマミ族では調味料としての塩が存在せず、食事は薄味だそうです。彼らは世界一血圧の低い民族らしいのですが、私の平均血圧と同じくらいです。


鹿渋滞。わらわら。


鹿渋滞で何度もつかえながら、公園を後にしたのでした。熊も見かけました。

Wednesday, October 14, 2009

オウムの缶詰めかと思った

コンデンスミルクでした

Sunday, October 11, 2009

初めてのランニングレース

近所のClarendonという町で10キロマラソンがあって、友達に誘われたので出場した。初めてのランニングレースである。

ランニングシューズを買って2年、当時今より10キロ近く体重のあった私は2分と走ることが出来ず、まずは歩くことから始めた。今回初めてレースに出てやっと「私はランナーだ」と言える気がしたよ。

最初の半年くらいはとにかく運動不足で、歩いたって息切れで汗だく。その後も横っ腹が痛みと付き合いながら走る&歩くを繰り返した。今から半年前くらいにやっと5キロ以上を続けて走れるようになったのだが、それでも胃が気持ち悪くて15分程度で切り上げることも多々。ここ2年は落ち着きのない生活で継続して頻繁に走ることは出来なかったが、走ることを完全に止めることはなかった。

西麻布時代は、村上春樹を思いながら神宮外苑を走ったものだ。

このレースに出るまで、外で走ったのは最長で6キロ程度だったと思う。そんな状態で、10キロマラソンに出てみた。

結果、途中歩きつつ1時間14分でゴールした。完走者約880人中860番目くらいであった。もちろん、大満足である。吐き気でリタイアせずに完走しただけで嬉しい。

普段運動してない友達が東京マラソンに応募して完走したり、普段走らない友達が気まぐれにジムに行って1時間くらい走れたりするのを目にするにつけ、2年かかってやっと30分続けて走れるようになった自分がランニングを続けているのは滑稽に感じる。(そういえば小学校のマラソン大会が本当に嫌で、いつもビリから2番目とかだった。)

その滑稽さこそが、走る意味だ。意味が無いことをすることに意味がある。大人になったらだいたいやることには何でも意味があって、社会貢献だとかお金稼ぎとか、人助けとか自己実現とか、その目的にどれほど近づいたか、どれくらい意味があったかって自分の行動を批判しちゃう。小さな頭を加熱させてまで、考え過ぎちゃうのだ。それって疲れる。

私みたいに肥大化した自我に悩まされる人間はすぐに行き止まりにぶつかって、現代人のストレス症状一覧の見本みたいなことになってしまう。子供や動物がのびのびしてるのは、遊んでばかりいるからだ。遊びには、成功も失敗もないし、勝ち負けもない。

車なら数分で行ける距離を、数十分かけて苦しい思いをして、痛い思いをして、汗だくの不格好をさらして、この体だけで移動しようってほどアホらしいことはない。どうしたって笑えてくる。コメディなんかじゃ、簡単に避けられる理由で痛い思いをする人を見て人は笑う。(上から落ちてくるヤカンに当たったのを見て、客は大笑いしてしまう。)人間はそういう心理システムになっているらしい。何にも役に立たないのに苦しい思いをするのは、体を張ったギャグだ。観客は自分だけ。自分による、自分だけのための喜劇。意思が行動を決めるんじゃなくて、行動が意思を決めるってことを、走ってる間は忘れずに済む。


↓ゴール直後



↓私より速かった犬

Thursday, October 8, 2009

New jersey turnpike

NYからDCに帰るとこです

Monday, October 5, 2009

The Inn at Little Washingtonに行ってきた(その1)


(宿泊するとこんな眺めらしい。)


結婚した日の夜、記念ディナーでThe Inn at Little Washingtonというレストランに行ってきた。ワシントンDCから車で1時間ほどの、国立公園にほど近いLittle Washingtonという小さな町にある。正確にはその名の通り宿泊施設なのだが、我々のように夕食だけとることも出来る。紛れもない高級店であり、旦那とその母と私の3人で計1500ドル弱を支払った。普段の食事では1人100ドル(または1万円)を超えるとかなり特別感があるので、この予算の店がポンと選ばれたことで結婚というイベントの大きさを感じるというものである。(人ごとっぽいね。)

このレストラン、DC近辺で知らない人はいないというくらい有名で、Zagat Survey DC版では14年連続総合ランキング1位らしい。日本で有名なミシュランの星は取ってないが、Mobileの同じ主旨のランキングで歴史上唯一、宿泊部門と食事部門の両方で五つ星を取ったホテルらしい。またInternational Herald Tribune紙、Travel & Leisure Magazineでも世界のトップ10レストランに選ばれている。(英語版wikipediaに拠る。)

「是非また行きたい」というほど気に入ったわけではないが、なかなか貴重な体験だったし、この有名レストランについて日本語で説明しているウェブサイトも見当たらなかったので、レポートしてみる。私なりに、であるが。まずは料理と、それから全体について。

まずは料理だが、選べるメニューは2つのコース。7品から成る完全おまかせテイスティングコースと、それぞれ選べる4品コース。我々はテイスティングコースに、おまかせのワインペアリングも頼んだ。1品ごとにグラスでワインが出てくる。

正直に言って、味はまぁ・・・残念。まず最初に出てきたパンを食べた瞬間から、あら?と肩すかし笑いを思わず浮かべてしまった。7品もあるのでセーブして食べ過ぎないようにしていたのだが、どの皿も食べ切る前に、我慢せずとも箸を、いやフォークとナイフを置くことが出来てしまった。おかげでデザートまで終えても腹9分目くらいの余裕であった。

料理の基本は、モダン・アメリカン。つまり各種西洋料理をベースに、世界各地の影響を受けた味付けである。しかし、皿の構成はクリエイティブでそして何しろ手間がかかっている。テイスティングコースに無く4品通常コースにあったメニューでどうしても気になったので追加で頼んだラムのカルパッチョを例に取る。



薄切りのラム肉が敷き詰められ、その上にはクルトン、輪切りの玉ねぎ、ケーパー、そしてシーザードレッシング味のアイスクリーム。その横にパルメジャンチーズをまぶしたロメインレタスが1枚。つまりラムのカルパッチチョに、再構築したシーザーサラダを混ぜ込んであるのだ。で味はというと、もし日本のチェーン系イタリアン(グローバルダイニングとかの)で出されたら感心はするがひどく驚くということもないな、という程度。想像しやすいように日本のレストランの例を出したが、アメリカでも(ずっと安く)もっとおいしいものをたくさん食べたことがある。


(これは、魚介のマリネや寿司をアレンジした前菜のひとつ。)

どの品もアイデアはユニークで、手は混んでいて特別感は確かにあるが、その見た目の印象とそこからの期待をおいしさが超えることは無かった。7品(実際には追加があって8品くらい)もあって、ひとつも感動しなかったのは予想外であった。数品コースの高級な食事では、1品くらいはため息の出る料理を期待するものである。

じゃあ何でこの店が有名で、印象深かったのか、っていうことについては、その2に続く・・・

ちなみに私の味の好みといえば、料理の最高峰は寿司と蕎麦なんじゃないかと心の底では思っているほどの江戸っ子具合で、そのうえ胃が弱く肉にはあまり興味がないときているので、その辺のかなりの偏りを考慮に入れて頂きたい。

Monday, September 28, 2009

Traffic Jam at Sonar Baltimore (その2)

で、肝心のMMWはどうだったか、というと、イマイチ乗り切れない感じであった。今まで私が見て来た彼らのショーでは、3人の織りなす演奏は驚きの連続ってことが多かったし、自分の意思とは関係なく完全に「踊らされてる」ってくらい強い音楽を体験することが出来た。今回はその強さは無かった。

何がその日の演奏を左右するのかと考えると、3人のコンディション、方向性以外には、天候や音響などの環境と、オーディエンス、それからディレクション(会場またはオーガナイザー)などか。演者の能力を中心にその全てがバランス良く調和してないとダメなんだなと思った。

今まで私が見てきたMMWの公演は全て日本で、オーガニックグルーブ/TPCがオーガナイズだった。彼らの、特にステージ上の演者に方向性を示す手腕はすごい。それで生み出される音楽が好きで集まる観客の一体感もなかなか他では味わえないものだ。その全てが調和して醸し出すイベントそのものの雰囲気は独特で、好き嫌いも強く分かれるようなのだが、私がそこで味わって来た音楽体験の強烈さは他を圧倒する。

それに比べると、今回のTraffic Jam 2009は、イベント全体として私の好きな方向とは違った。それで逆に、自分の好む方向性を思い知らされる結果になったのだが。名前にあるように、結局、 Jamのお祭りだったのだ。MMWは「ジャムバンド」じゃない。先日訳したインタビューでも彼ら自身が困惑している様子が分かるが、彼らはジャムバンドに括られてそれなりにジャムバンドファンを楽しませることも出来るけど、それは必ずしも彼らが望むことではない。今回のショーはまさにそんな感じだった。お客もMMWも乗り切れてない。

おしゃべりしたデッド好きの観客は、今回のMMWに関して、「初めて見たけど、演奏がうまいね。でもどうもあともうちょっとというとこで踊り切らせてくれないというか、小難しいことをしてカッコいいかもしれないけど、気持ちよくない。オタクっぽいね。」というようなことを言っていた。また彼は、ストリングチーズインシデンツなんかが踊れて好きだと。

おそらくそんな感じの観客が大半だったんじゃないかな。MMWの時も最前列の観客は立ったまま柵にもたれかかって、あまり反応のない人々。二列目以降はそれなりに揺れるように踊っていたが、有名な曲(Chub subとか)が始まってもイマイチ歓迎してる感はない。もくもくとマリファナの煙はそこかしこで流れてくる。(メリーランド州なので室内は禁煙なんだけど、マリファナは暗黙の了解でOKのようで誰も気にする様子がない。)そもそも会場はガラガラといってもいいくらいの密度の低さで、その中でもMMWが好きで見に来てる人はほんの一握りと思われた。なんだか寂しかった。音を吸い込んでしまうんじゃないかってくらいの真摯なまなざしで彼らを見つめる日本の観客仲間が恋しいわ。

MMWのあとに演奏していたバンドを見たのだけど、加速するドラムにロックなギターに素朴な歌詞の歌、とろんとした目で満足げに揺れる観客、むせるマリファナの香り。ああ、これか。知ってるぞこれ。音も観客の盛り上がりも、驚きがない。だいたい先を予想できてしまう。予定調和なジャム、とは誰が言ったことか。確かに、危険の無い気楽なレクリエーションと思えば心地よいものだろう。特に友達同士でくさ吸って、ビールでも飲んでれば。観客もMMWの時より楽しげだ。でもなあ。私には退屈なんだ。

それをはっきり分かったのが、今回の収穫か。海を越えても同じだった。すぐに会場を後にし、雨の中1時間ドライブして家路についた。そして思い出したのは、ちょっと前にうっかりJam cruise 2010のチケットを買ってしまっていたことだった。今ならはっきり分かる。私が欲しいのはそういう楽しさじゃないんだ・・・というわけで、このチケットを売らなきゃ! 3000ドル以上するチケットを売るのは簡単じゃないだろな・・・ふぅ。

次は11月のMMW at Nokia Theater in NYCに期待です。

Friday, September 11, 2009

Traffic Jam at Sonar Baltimore (その1)

先週の日曜(9/6、祝前日)に、ワシントンDCから60kmほど東にある街ボルチモアで開催されTraffic Jam 2009というイベントに行って来た。ウェブサイト地味過ぎで全貌つかめないまま。

MMWが出演するので参加を決めたんだけど、他の出演者は全くしらない・・・:

Leftover Salmon, Medeski, Martin and Wood, Papa Mali, The Lee Boys, Great American Taxi, Bobby Lee Rodgers, The Travelin McCourys, Dumpstaphunk


今まで6回くらい日本でMMWを見ているのだけど、最後に見たのも3年前だし、はっきり覚えていない。だから残念ながらちゃんと音楽の論評は出来ないんだけど、もろもろ感想はあるのでレポートしておく。

まず会場はこんな感じであった。


これが会場であるナイトクラブの入り口付近。左側の建物が会場のクラブ。出店がいくつか並んでいます。ボルチモアのインナーハーバーという、商業地域として再開発されてにぎわってるあたりから6ブロックくらいかな。ダウンタウンの一角といえるが、人通りもまばらで、この場所だけ人がいて目立っている感じ。

こんな風に。

店の前は公道なんだけど、封鎖している。このせいで辿り着くのに随分遠回りすることになった。


ステージは二つで、これは大きい方。MMWの予定時間の20分前。がらがら。
始まる頃には150人くらい人が集まっていたけど、一番人がいたときでも200人か、多くても300人はいってない感じだった。

お客さん全体でもせいぜい400人くらいしかいなかったんじゃないかと思う。フェスというには地味過ぎる雰囲気。ボルチモアの土地柄が関係しているのか。

その2に続く。

MMWに関してはこちら;
http://www.mmw.net/
http://www.myspace.com/medeskimartinandwood
http://room1268.blogspot.com/2009/08/la-times-interview-with-mmw.html