Sunday, December 13, 2009

旦那による料理の五段階評価

よく料理をして旦那と食べるが、ほとんどの場合「この料理、おいしい?(好き?)」と聞いてみる。だいたい、返事のバリエーションは5つ。

5 Very Good
4 Pretty Good
3 Good
2 OK
1 Not a big fan

日本語訳:
5 とてもおいしい
4 かなりおいしい
3 おいしい
2 悪くはない
1 大ファンとは言えない

この順番に5段階である。昨日作ったカレーに対して珍しく「Very Good」と言ったので、「それはいつものPretty Goodより上なんだよね?」と確認してこの並び順が確定できた。

日常的に手料理を食べさせる機会は今まで無かったので、一緒に暮らし始めて最近やっと表現の細かいニュアンスが分かってきたのだ。料理の評価に限らず旦那と私の間でのコミュニケーションはかなり円滑になってきている。私の方では適当にブロークンな話し方をすることで必要なことを効率的に伝える方法も身につけたし、前はしばしばあった、英語ばかりで頭がオーバーヒートするような疲弊感も無くなった。(外に出ると相変わらずキチっとした話し方を心がけるが、夫婦の日常生活でそれほど的確さの要求される内容なんて滅多に無いのだ。)同時に旦那の方でも、難しい単語、極端なスラングを使わない話し方、私の表情を読んで別の表現方法で言い直すなどが前よりスムーズにできるようになってるに違いない。

だからこそ辛いという面がある、という思いが最近ぷくぷくと膨れ上がっている気がする。ま、引っ越したばかりで友達もいなくて、旦那とのコミュニケーションが必要以上に存在感を帯びてしまうのも大きな原因だとは思うけど。英語が流暢になってきたからこそ、上滑りな感じというか、重要なことが全然伝わらないという感覚が拭えない。重要じゃない瑣末なことも伝わらなかった頃は、そんな悩みはなかったのに。

いつだって壁の向こうには壁がある。

重要なこと、って何か?って日本語でも説明は難しい。根本的な価値観、世界観に関わることってのは分かっているんだけど。例えば、丸い屋根の家がある。丸いパンを半分に切って置いたような。で、私は「いいなあの家」って言う。旦那は「何で?」っていう。「丸いから」って私は言う。「何で丸いのが良いの?」って旦那は聞く。あれ、真っすぐより丸い方が良くない? 家が直線で構成されてるのは、その方が安くできるっていうだけの理由じゃないの? って私は思う。簡潔に言う、「曲線のが直線より好きだから、、、」「なるほど、、、」。お互い、腑に落ちない。伝わってる感覚が無い。

先日フロリダで、南アフリカ出身で80年代に学生としてアメリカにやってきて今は経済学の教授をしている女性に紹介され、しばし2人で話す機会があった。最初に見た目の話し方から、インドかパキスタンあたりの出身だろうと私は踏んだ。私は日本からやってきた。あなたはどこの出身ですか?と聞くと、南アフリカだという。しかも彼女はアパルトヘイト下で、自由な移動が許されず小さな村から出ずにごく小さな世界で育った。アメリカに来たことでやっと差別される側から抜け出し、あらゆる当然の平等さを得ることが出来た、と。

それはもちろん言うまでもなく素晴らしいこと。それでもしかし、育った村の考え方と違う文化に馴染むのには本当に苦労した、と言っていた。文化が違えば、根本的な価値観が違う。世界に対する眼差しが違う。例えばこんな感じの実験があったという。魚が入った水槽を撮った写真がある。いろいろな国の被験者に、「何が見えますか?」と聞く。中国人は、「水槽」と答える。アメリカ人は、「魚」と答える。それくらい根本的に世界観が違うのだから、馴染むには大変な労力を要する、と。特にアメリカは強烈な個人主義が行き届いている。私たちの文化はたぶん、程度や質の差はあれ全体のバランスをもっと重視する。

これが、南アフリカ出身の彼女が言っていたことの概要だ。よく分かる。切実に分かるよ。アメリカに来るまでは、南アフリカ出身のアパルトヘイト経験者と「そうそう!分かる!」という体験をするとは思わなかった。Awayな場所では、チームメイトとの絆も強まるというものだ。日本にいると韓国料理はエスニックでエキゾチックな部類に入るが、こちらでは白米に味付けせずに炊くというだけでもうすっかり、心温まる故郷の味の部類に入っている。

魚と水槽、直線と曲線。そしてなぜそれを選びとるかということを、説明できると思うか、説明できないと思うか。旦那は多分、言葉で説明できないことはあんまり無いと思っている。私は、すごくたくさんあると思っている。言葉で説明できないこと、説明できない部分がすごく大事だと思っている。説明してはいけないことが多いと思っている。その違和感を、言葉で説明することは、もちろん簡単ではない。

でも、不可能とは言わない。よく分からないけど、ニュートン力学と量子力学の違いみたいなものかもしれない。日常レベルではパラダイムが一気に変わるなんてことは無くて、ちょっとずつ混ざって平衡点を探して行くんだろう。

今のところ「ワケの分からない」話し方でクッションを膨らまし続けるしか無いかな。大切なことは、五段階で評価したりしない。今日の予定は素粒子のようにただよっていて、あなたが投げかける「今夜は何をする?」という質問は顕微鏡の光のように、素粒子を並べ替えてしまうのだ。分かったような、分からないような、そんな話し方で相手を困らせている。それは私が必死に抗ってる姿だ。


オマケ:魚と水槽の話、ソース見つかるかなと思って検索したら、こんなコラムがあった。これを読んだのかもしれないな、彼女は。魚と水槽の話を紹介しつつ、個人/全体、理性の限界/無意識の働きみたいなことを、経済発展と結びつけて話してるNY Timesのコラム。こちら


旦那が珍しくVery Goodと評したカレー。普段のインド風じゃなくて、小麦を使った方法でさらにじゃがいもも入れて作ってみたらやっぱり学校の給食を彷彿とさせるテクスチャーに。私は好みじゃないのだが、案の定旦那は喜んでた。まぁたくさん食べてくれるのは、嬉しいものだ。

1 comment:

Unknown said...

おつです。

ニュアンスが伝わらない話ですが、
意外と時間が解決してくれる気がする・・・。

うちは一緒にいてもうすぐ10年だけど、
言葉は違って、何も言わなくても
お互い考えてることってのは大体分かるよ。
(私たちの考え方が単純だというのもあるけど(笑))
相手の思考パターンみたいなのが読めてくるんだと思う。
もしくはシンクロ出来るようになる?

でも子供が生まれるとかそういう人生の新しい局面に直面すると、
また相手の新しい部分とか考え方が見えたりして面白いよ。

夫婦ってのは概して似てくるもんだしね。
そうするともう立派な「家族」なんだと思いますよ。