Saturday, October 31, 2009

沖縄の写真

そういえば、沖縄に行ったときの写真が未公開だった。ケータイで撮ったスナップですが。ひとり旅だったのでタイマー機能を使って自分を撮ったりしてみた。3日間、時々小雨が降る沖縄の厚い雲の下で無目的に車を走らせ、どこにも辿り着かなぬまま戻ってきた旅。今年4月末くらい。話題が古いっ。




















Tuesday, October 27, 2009

コーヒーの話2

 

食べ物を食べる時に、味や栄養だけじゃなくて、その食べ物がどこで生まれどのような過程を経てあなたの前に供されることになったかという物語も一緒に咀嚼しているものだ。コーヒーは遠くからやってきたエキゾチックさがまだまだある嗜好品。だいたい遠くの国から運ばれてくることの多いものだが、日本でも作っている場所があるってご存知だろうか? 沖縄である。(他にもあるかもしれないが、私は知らない。)コーヒーが育つ環境として沖縄がギリギリの緯度と聞いた。

半年程前に沖縄に行った時に、立ち寄ったのがこのヒロコーヒーファームという農園だ。沖縄本島の北端から30分ほど南に行った東海岸側だったと思う。那覇からは2時間以上離れているはずだ。そこではコーヒーを飲むことができて、豆を買うこともできる。私はここで、初めて日本産のコーヒーを飲んだ。

ここのご主人は、大阪出身だがハワイなど海外でコーヒー作りを学んで沖縄で開園したそうだ。そして、無農薬で手摘みのコーヒー。そんな物語、飲んでみたいと思いませんか。美味しいことは間違いないです。沖縄旅行後わりとすぐに渡米してしまったので、持ち帰った分しか飲めませんでしたが、日本にいたらここから通販でコーヒーをしばらく買っていただろうな、と思います。

ヒロコーヒーファームで出してくれるこのレモングラス入りコーヒーの新芽茶も、さわやかで美味しい。買って帰りたいと思ったが、販売はしていなかった。


ヒロコーヒーファームの紹介ページを1件ご紹介しておきます
Posted by Picasa
沖縄でも、ここを含め3軒しかコーヒー農園はないようだ。

どこで歌を練習するか

2ヶ月くらい前から、音楽学校で歌を習い始めた。これまでずっと私は聴く側の人間だと思い込んで来た。パフォーマーとオーディエンスには超えがたい壁があって、私はオーディエンス側であると。

実際の問題として成人した現代の日本人には、酔っぱらってカラオケに行く時くらいしか歌う機会がない。私には女性ボーカルの曲は決まってキーが高過ぎ、サビが歌えない。キーを下げたら低い音が出ない。声に張りも無くて寂しい。それでいつしか自分は救いようも無く歌が下手と思い込むのも無理は無い。

しかし生きて行くと色々学び、賢くもなるようで、ある日私は重要なことに気づいた。プロの歌手が皆最初からうまかったなんてあり得るか? 私にも上達の可能性はあるはず。当たり前だが、どれくらい上達するかは試してみないと分からない。

まず最初に東京の音楽スクールのボーカル科に、お試しレッスンを受けに行った。そしたら、私の声は特に低いというわけではない、と言われた。驚いた。思い込み the 我々の敵。

そういうわけで、今はワシントンDCの音楽学校で週に1度のグループレッスンで歌を習っている。歌は体を楽器にして音楽を奏でるわけで、まずは体を作らないといけない。スポーツと同じ。それから、体をどう使うか。歌い方についてお知識を詰め込んで、思った通りに体が反応して素敵な音が出てくるわけじゃない。週に1度先生から練習法や考え方、コツなんかを教えてもらうわけだけど、うまくなるかどうかは練習にかかっている。

練習といっても、どうやったらどういう声が出るか、どうしたら出したい声が出せるかを探るのが主だ。スキャットのような曲を使ったり、方法はいろいろだが、基本的にはいろいろ奇声をあげまくって、感覚を掴んで行くしかないような気がする。(喉を痛めぬように気をつけつつ。)

しかし我が家はアパートで、両側には別の住人もいるし、気兼ねなく大声を出せるわけもない。歌の練習ってのは、鼻歌の20倍くらいうるさい。車を持っているので、運転中には大声で歌えるが、正しい姿勢は立った状態である。東京ならカラオケボックスがたくさんあるから、ひとりで行って練習できるのに。

この辺は家の近くに鹿の死体が転がっているような人口密度の低さなのに、心置きなく奇声を上げられる場所はない。東京の皆さんで歌が上手くなりたい人は、会社帰りに30分でもカラオケボックスに寄ったら良いと思う。歌を歌うんじゃなくて、いろいろ奇声を上げてみたり、姿勢を変えてみたりして、音を響かせてみたり、楽器である体を色んな風に使ってみる。

結論としては、カラオケボックスのある東京が羨ましい、というだけの話です。あと、ほろ酔いで友達とカラオケに行きたいです。

Sunday, October 25, 2009

ランニングで考える一神教の始まり

先日の10キロランレースのオマケ。走りながら神について考えた。

何かの本で読んだのだけど、一神教が生まれるには、天候や地形などによって過酷な生活を強いられる場所が背景として重要だったという説があるようだ。日本やインドやら、天気が割と良くて、食べ物の心配をそうしなくても生きていける場所では、人は周囲や自然と協調することが重要だったので、神的存在が複数存在する世界観が発達した。一方砂漠のような気を抜くと人間がすぐ死んじゃうような場所では、つべこべ言わずに人々が団結する必要があったので、唯一神が借り出された。

なるほど、うなずける気がする話だ。頭ではなるほどね、と思う。でも実感できるものではない。1人(?)の神様って存在が、全てを作って、全てをコントロールしている、という話を本気で信じられる人がいるなんて、にわかに信じがたいのだ。仏教、神道、キリスト教、なんでもごちゃ混ぜの日本教育ちの私から見ると一神教を受け入れられる世界観というのは、想像を超えた謎。

外国の文学や映画、歌など創作物も好きだけど、共感できるのは一神教信者とは言えない人/物ばかり。一神教と私の間の深い溝は、ブラックホールのような超えられない存在なのか。良いなと思う瞬間はたくさんあるのに、Sun Raや矢野顕子を聴いていてイマイチ全身で乗り切れない限界点みたいなものがあるのも、その溝のせいじゃないかな、って思ってた。(ライブ見てないから何とも言えないが。)

今でもその謎は簡単に想像できるものではないが、先日参加した10キロランニングレースで、ちょっとした手応えのようなものを感じる瞬間があったので書いておく。走ってると変なことを思いつくから面白いのだ。

レース中、6キロを過ぎたあたりで市街地を抜けてしまった。このレース後半部分アーリントン墓地横の片道2車線のハイウェイに入り、2、3キロごとに給水ポイントがあり1キロごとに応援する人が沿道にいるという、寂しい風景。7キロくらいのところで折り返しがあり、市街地に向かってまた退屈な道を戻り始める。その頃、走り続けることが出来なくて歩き始めた。1、2分歩き、また走るの繰り返し。ハイウエイだから沿道に人などほとんどいない。体の重さと呼吸の苦しさしか感じない。その頃だ。コースの脇に、拡声器を持って選手達にメッセージを送り続ける人がいた。

その女性は、選手が胸につけている「ゼッケン」の番号をひとりひとり読み上げ、「2015番、その調子、いいよ!」といった具合で応援しているのだ。ビリに近い組だから、通り過ぎる選手もまばらだが、彼女はずっと元気良く話し続けている。近づくと何を言っているか聞こえる。「1632番、良いペースだよ! その調子で! ゴールまであと1マイル切ってるからね! ゴール地点には、冷たいビールが用意してるよ! なんと、土曜の午前中から堂々とビールだよ! 最高だと思わない? さーひとがんばり!」といった具合。

この「冷たいビール」が、なんと魅力的に聞こえたことか。こんなに何かをありがたいと思ったことはない。彼女が神々しく見えた。そう、まさに神々しかった。体の疲れと渇きに、ビールという言葉が喚起したポジティブなエネルギーは、それ自体が喜びでさえあった。希望こそが生きる喜びだって、そういえばはっぴいえんども言ってたね。「でも幸せなんて、何を持ってるかじゃない、何を欲しがるか〜だぜ〜」って(「はっぴいえんど」って曲)。人間だもの。

それで、元気が出た私は、そうかこうやって、飢えた時に飢えを満たすものをもった人が何か言ったら、すがるように信じるなと思い至った。それが生きる唯一の希望に見えるだろうから。キリストとかムハンマドとか、預言者ってのはそういうことだったのかな、と。つまりね、ちょっと賢い人が、食べ物とか飲み物とか生活必需品へのアクセスをより多く得るとする。それでただそれを人に分けてあげてもいいんだけど、そこで恵まれない人たちを味方に付けようと思ったのかもしれない。そこで、食べ物をあげる前に、食べ物の話をした。想像させた。あと、どうしたらうまく食べ物が得られるかって話をした。神ってやつが言ってることを聞くしかない、何でも知ってるから、と。そうやって大勢で協力すれば、賢さを悪いことに使う人や厳しい自然から自分も守れるしね。やっぱり話が抜群にうまかったんだろうな。

こうやって一神教は始まったんじゃないか。飢えに対する希望が、圧倒的に歓迎されて組織が出来ていくという絵。組織は大きくなると面倒がたくさん起きちゃうけど、最初にわき起こる熱ってのは、ピュアな興奮だ。おめでたい気分の残るまま、頭の中のビールのとろけるような美味しさを楽しみながら、私のレースはゴールを迎えたのでした。おわり。



余談ですが書いておく。はっぴいえんどの曲名を調べたついでに、amazonを見たが、まだ発売中止のままのようだね。鈴木茂氏が大麻所持で捕まったあとにレコード会社が発売中止したみたいだけど、それではっぴいえんどの新品CDが買えない状態。スーパーアホらしい。なんという失礼な話だ。音楽業界がアホで沈んで行くのは良いが、それで音楽作品を道づれにするのは、また別の話で、罪ですよ。

Tuesday, October 20, 2009

シェナンドー国立公園

ちょうど今頃が紅葉のまっただ中ということで先週末、紅葉を見にシェナンドー国立公園(wikipedia)に行ってきました。昼頃ついて、簡単なランチ食べてから、難易度の低いハイキングを2、3時間して帰ってこようという計画で。

その日は曇りだったので、あまり良い景色は見えないかもしれないね、などと話しながら我が家からゆっくり1時間半ほど車で走り午後1時に公園入り口に着くと、係員が告げたのは「公園内の道路は凍結のため封鎖中」。確かに先週一気に冷え込んだとはいえ、凍結とは・・。しかたがないので、車内でカントリー音楽のラジオを聞きながらテキトーに近辺をドライブして時間をつぶしました。


馬や牛がいっぱい


鹿を発見(真ん中に小さく写っている)


近くのレストラン。ダイナーではないが、太ったおばちゃんがコーヒーを何度も注ぎにきてくれるような店です。この辺ですでに、DC近辺とアクセントがちょっと違う。田舎風というのか。


小さな湖の人口ビーチ。遠くから聞こえる知らない鳥の鳴き声が侘しさを際立たせます。車が一台だけ止まっていて、チラリとのぞくと若い男性が助手席にひとり。しばらくすると彼が若い女性を連れて歩いて行くのが見えたので、私たちは邪魔をしてしまったんでしょう。



2時半頃入り口に戻るもまだ閉鎖中。三度目の正直で午後4時半に入り口に行ってみたら、封鎖解除されてました。入り口で15ドル払って、公園内を南北に168キロにわたって走るスカイラインドライブという道路を走り始めます。まあ、とりあえず走ってみようと。


すると、あら、白いものが。


うおっ、真っ白。車の温度計によると外の気温は1度くらい。



紅葉を見に来たというのが冗談としか思えない真冬の風景。



マジ凍りです


寄った売店のおばさんも、いきなり寒くなって昨晩雪まで降って来て、本当にびっくりしていると言ってました。

そんなわけでハイキングなど出来るわけもなく、サービスエリア的な休憩所をブルブル震えながら歩き回ってみて、あとは車でドライブをちょっとして帰って来ました。

スカイラインといえば伊豆ですが、シェナンドーはなんとなく日光とイメージが重なります。ここは戦場ヶ原を思い出させる。




紅葉した葉は雪でだいたい落ちてしまったのかしら。葉は緑か黄色がほとんどの様子。寒い。



すぐに日も暮れて来たので、公園を後にします。

道路の凍結を防ぐために塩をまくらしいんですが、鹿がやってきてその塩を舐めていくようです。塩化ナトリウム。重要なミネラルです。関係ないけど、アマゾンのヤノマミ族では調味料としての塩が存在せず、食事は薄味だそうです。彼らは世界一血圧の低い民族らしいのですが、私の平均血圧と同じくらいです。


鹿渋滞。わらわら。


鹿渋滞で何度もつかえながら、公園を後にしたのでした。熊も見かけました。

Wednesday, October 14, 2009

オウムの缶詰めかと思った

コンデンスミルクでした

Sunday, October 11, 2009

初めてのランニングレース

近所のClarendonという町で10キロマラソンがあって、友達に誘われたので出場した。初めてのランニングレースである。

ランニングシューズを買って2年、当時今より10キロ近く体重のあった私は2分と走ることが出来ず、まずは歩くことから始めた。今回初めてレースに出てやっと「私はランナーだ」と言える気がしたよ。

最初の半年くらいはとにかく運動不足で、歩いたって息切れで汗だく。その後も横っ腹が痛みと付き合いながら走る&歩くを繰り返した。今から半年前くらいにやっと5キロ以上を続けて走れるようになったのだが、それでも胃が気持ち悪くて15分程度で切り上げることも多々。ここ2年は落ち着きのない生活で継続して頻繁に走ることは出来なかったが、走ることを完全に止めることはなかった。

西麻布時代は、村上春樹を思いながら神宮外苑を走ったものだ。

このレースに出るまで、外で走ったのは最長で6キロ程度だったと思う。そんな状態で、10キロマラソンに出てみた。

結果、途中歩きつつ1時間14分でゴールした。完走者約880人中860番目くらいであった。もちろん、大満足である。吐き気でリタイアせずに完走しただけで嬉しい。

普段運動してない友達が東京マラソンに応募して完走したり、普段走らない友達が気まぐれにジムに行って1時間くらい走れたりするのを目にするにつけ、2年かかってやっと30分続けて走れるようになった自分がランニングを続けているのは滑稽に感じる。(そういえば小学校のマラソン大会が本当に嫌で、いつもビリから2番目とかだった。)

その滑稽さこそが、走る意味だ。意味が無いことをすることに意味がある。大人になったらだいたいやることには何でも意味があって、社会貢献だとかお金稼ぎとか、人助けとか自己実現とか、その目的にどれほど近づいたか、どれくらい意味があったかって自分の行動を批判しちゃう。小さな頭を加熱させてまで、考え過ぎちゃうのだ。それって疲れる。

私みたいに肥大化した自我に悩まされる人間はすぐに行き止まりにぶつかって、現代人のストレス症状一覧の見本みたいなことになってしまう。子供や動物がのびのびしてるのは、遊んでばかりいるからだ。遊びには、成功も失敗もないし、勝ち負けもない。

車なら数分で行ける距離を、数十分かけて苦しい思いをして、痛い思いをして、汗だくの不格好をさらして、この体だけで移動しようってほどアホらしいことはない。どうしたって笑えてくる。コメディなんかじゃ、簡単に避けられる理由で痛い思いをする人を見て人は笑う。(上から落ちてくるヤカンに当たったのを見て、客は大笑いしてしまう。)人間はそういう心理システムになっているらしい。何にも役に立たないのに苦しい思いをするのは、体を張ったギャグだ。観客は自分だけ。自分による、自分だけのための喜劇。意思が行動を決めるんじゃなくて、行動が意思を決めるってことを、走ってる間は忘れずに済む。


↓ゴール直後



↓私より速かった犬

Thursday, October 8, 2009

New jersey turnpike

NYからDCに帰るとこです

Monday, October 5, 2009

The Inn at Little Washingtonに行ってきた(その1)


(宿泊するとこんな眺めらしい。)


結婚した日の夜、記念ディナーでThe Inn at Little Washingtonというレストランに行ってきた。ワシントンDCから車で1時間ほどの、国立公園にほど近いLittle Washingtonという小さな町にある。正確にはその名の通り宿泊施設なのだが、我々のように夕食だけとることも出来る。紛れもない高級店であり、旦那とその母と私の3人で計1500ドル弱を支払った。普段の食事では1人100ドル(または1万円)を超えるとかなり特別感があるので、この予算の店がポンと選ばれたことで結婚というイベントの大きさを感じるというものである。(人ごとっぽいね。)

このレストラン、DC近辺で知らない人はいないというくらい有名で、Zagat Survey DC版では14年連続総合ランキング1位らしい。日本で有名なミシュランの星は取ってないが、Mobileの同じ主旨のランキングで歴史上唯一、宿泊部門と食事部門の両方で五つ星を取ったホテルらしい。またInternational Herald Tribune紙、Travel & Leisure Magazineでも世界のトップ10レストランに選ばれている。(英語版wikipediaに拠る。)

「是非また行きたい」というほど気に入ったわけではないが、なかなか貴重な体験だったし、この有名レストランについて日本語で説明しているウェブサイトも見当たらなかったので、レポートしてみる。私なりに、であるが。まずは料理と、それから全体について。

まずは料理だが、選べるメニューは2つのコース。7品から成る完全おまかせテイスティングコースと、それぞれ選べる4品コース。我々はテイスティングコースに、おまかせのワインペアリングも頼んだ。1品ごとにグラスでワインが出てくる。

正直に言って、味はまぁ・・・残念。まず最初に出てきたパンを食べた瞬間から、あら?と肩すかし笑いを思わず浮かべてしまった。7品もあるのでセーブして食べ過ぎないようにしていたのだが、どの皿も食べ切る前に、我慢せずとも箸を、いやフォークとナイフを置くことが出来てしまった。おかげでデザートまで終えても腹9分目くらいの余裕であった。

料理の基本は、モダン・アメリカン。つまり各種西洋料理をベースに、世界各地の影響を受けた味付けである。しかし、皿の構成はクリエイティブでそして何しろ手間がかかっている。テイスティングコースに無く4品通常コースにあったメニューでどうしても気になったので追加で頼んだラムのカルパッチョを例に取る。



薄切りのラム肉が敷き詰められ、その上にはクルトン、輪切りの玉ねぎ、ケーパー、そしてシーザードレッシング味のアイスクリーム。その横にパルメジャンチーズをまぶしたロメインレタスが1枚。つまりラムのカルパッチチョに、再構築したシーザーサラダを混ぜ込んであるのだ。で味はというと、もし日本のチェーン系イタリアン(グローバルダイニングとかの)で出されたら感心はするがひどく驚くということもないな、という程度。想像しやすいように日本のレストランの例を出したが、アメリカでも(ずっと安く)もっとおいしいものをたくさん食べたことがある。


(これは、魚介のマリネや寿司をアレンジした前菜のひとつ。)

どの品もアイデアはユニークで、手は混んでいて特別感は確かにあるが、その見た目の印象とそこからの期待をおいしさが超えることは無かった。7品(実際には追加があって8品くらい)もあって、ひとつも感動しなかったのは予想外であった。数品コースの高級な食事では、1品くらいはため息の出る料理を期待するものである。

じゃあ何でこの店が有名で、印象深かったのか、っていうことについては、その2に続く・・・

ちなみに私の味の好みといえば、料理の最高峰は寿司と蕎麦なんじゃないかと心の底では思っているほどの江戸っ子具合で、そのうえ胃が弱く肉にはあまり興味がないときているので、その辺のかなりの偏りを考慮に入れて頂きたい。