Friday, January 1, 2010

明けましておめでとうございます

どうか皆さまが、足の暖かい1年を過ごされますように。



今年は初めてお節を作りました。

初めてで勝手が分からず、手に入らない食材もあり、さらに風邪の炎症がまだ完全には引かず味覚が戻っていないためどの料理もあまりおいしいとは言えない出来ですが、作ることに意味があったかと思います。家族が、それぞれの役を見つめるための定規みたいな存在だと思います。節(ふし)の料理。生きていくのに重要なことは、死なないことです。止まらないこと、動き続けること。ひと呼吸を、一日を、ひと月を、一年を、繰り返して行くことです。1年かけてループする黒豆煮が、家族をつなぎ、また世代をループさせていきます。丁寧なキックが、グルーヴを産みます。毎年同じようで、同じ味なんて無いのです。コンピュータでループ音を作り、流し続ければ、全く同じ繰り返しであると気づいた時点で耳障りな雑音になります。退屈です。すなわち死です。ですから、一年分の成長を昇華させるつもりの丁寧さで、黒豆を煮るのです。(1年目の今回は、焦がしましたw)

マイお節は全部手作りというワケではありません。田作りも買ってきたもの。妙に砂糖が多いのかちっちゃな魚同士がべったり糸をひくほどくっついており、面白がった旦那は箸の先に一匹くっつけて、雑煮を海に見立て劇をやってくれました。子供かっ!! 旦那から見ると雑煮の餅は、ぐにゃぐにゃで気持ち悪く、さらに味もない、ということでお好きじゃないようです。他にも典型的アメリカンな味覚で育った旦那にはちょっと難しい食材(こんにゃくなど手をつけない)も多いし、いわゆる伝統的なお節尽くしだと今の私には手に負えないので、来年はもうちょっとアレンジして、新しい家族の中で活きるようなものを工夫してみたいと思います。感謝祭のターキーなども、アメリカ版お節と言えるかと思います(=「繰り返す」料理)。我が家のお節は、始まったばかり。

最後になりましたが、皆さま今年もよろしくお願いいたします。

1 comment:

山平宙音 said...

記録のため作ったものは、紅白なます、黒豆煮、栗きんとん(くちなしを省略したのでどうにも暗い色、、、)、煮しめ(にんじん、里芋、ごぼう、しいたけ、こんにゃく)。雑煮は小松菜など無いので小さいチンゲンサイみたいなもの、買ってきたかまぼこ入り。